1 概要
須賀川市を通る県道355号線沿い,愛宕神社と顕國魂神社がある辺りは,地名ではないのだが「御所宮」と呼ばれている。
この場所には,かつて「御所宮舘」と呼ばれる城が存在し,上記顕國魂神社がある場所が,同舘の本郭であるという。
同城の築城時期や城主は残念ながら不明であるが,鎌倉時代に須賀川を統治していた岩瀬氏の居城ではないかと言われている(なお,岩瀬氏は,後に須賀川を統治し伊達政宗に滅ぼされた二階堂氏の庶流ではないかと言われている。)。
さて,上記県道355号線は阿武隈川に沿うように道が整備されているのだが,昔から,同川上流で水死者が出ると,何故かこの「御所宮」に死体が上がるといわれ,何か得体の知れない者が引き寄せているのではないか,例えば,御所宮舘に関係する武士の幽霊や水死者の幽霊の影響ではないか,などと噂されているという。
2 解説
私が所有する「福島県の中世城舘跡」(福島県教育委員会)によると,御所宮舘は築城時期は鎌倉期,遺構として郭,空堀,土塁などがある。不明な点が多い舘跡ではあるが,遺構内を見た限りでは,須賀川地方ではかなり古い時代に属するものだという。
さて,阿武隈川関連としては,御所宮からさらに上流にある乙字ケ滝においても,同様に水死者が同滝で上がるという噂が存在している。
乙字ケ滝との関連は不明であるが,須賀川においては,水難に関する何か因縁めいたものがあるのであろうか。
なお,この地に存在していたという岩瀬氏がどうなったかは不明である(二階堂氏の庶流という場合,二階堂氏に仕えた後,伊達政宗に滅ぼされた可能性があるし,二階堂氏と戦い滅んだ可能性もある。)。
ただ,岩瀬氏自体滅亡した訳でないようで,岩瀬氏出身の武士が駿河・遠江国の守護・戦国大名今川氏親に仕えた後に松平(徳川)氏に仕え,旗本として存続していたようである(幕末の旗本,岩瀬忠震もその流れを汲む者とのことである。)。