福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

花畑お梅の幽霊(須賀川市)

1 概要

 須賀川市にある長沼城に伝わる話である。

 応永年間(1394年~1428年)の頃,時の城主・長沼信濃守時貞は去る戦に勝利し,その祝いに花畑で花見の宴を催した。その際時貞は,両脇に美女,一人は自分の正室である桜姫,もう一人は最近寵愛するお梅の方を座らせていた。

 やがて酒宴も無礼講の兆しが見えたとき,一人の眉目秀麗の若侍がお梅の方の傍らに近付き,その手を取り,
 「わが世の春は今盛りなり 花の宴のそれの如く・・・。」
 と,今様を謡いながら踊り出すと,時貞をはじめ満座の人々の喝采を博した。特に,お梅の方の唄と踊りはこの地方で稀に見るものであり,時貞の寵愛は日に日に増していった。

 しかし,正妻の桜姫の心中は穏やかではなく,お梅の方に対し嫉妬の炎を燃やし,幾度か時貞にお梅の方がくだんの若侍と密通してると告げるがそのような証拠もなく,却ってお梅の方への寵愛を深めていった。

 やがて桜姫の嫉妬はつのり,ついに一年が過ぎ,再び盛大な花見の宴が行われる日,桜姫はくだんの若侍を見つけると,密かに手紙を渡し,これをお梅の方に届けるよう申し付けた。若侍はその手紙をお梅の方に渡し,お梅の方はその手紙を開くと,
 「二人の密通は幾度に及び,お梅の方はすでに若侍の種を宿している。産まれた子が男なら,やがて長沼城の主となるだろう。」
 と書かれていた。二人は顔を見合わせ,謀られたと思い手紙を破こうとするものの,運悪くその場に時貞がいた。手紙を取り上げた時貞はすぐに顔が青白くなり,怒りが頂点に達すると,二人をすぐさま手打ちにすることに決めた。

 そして,折角の花見の宴が一転,お梅の方は桜の木にくくりつけ吊るし切りに,若侍はその場で切り捨てられた。
 息も絶え絶えのお梅の方は無実を訴えるも,その声は届かず,ついにその声も途絶えてしまった。

 やがて,お梅の方の怨霊が花畑の木の間から城に向かい無実の叫びをあげるとともに,青白い人魂のような怪火が燃え上がり城へ向かい昇り行くのを見たものがあり,城中は当然のこと城下にも不吉な噂が広がった。

 また,城中でも不審なことが続発した。桜姫と時貞の寝所に断末魔の形相のお梅の方が現れ恨みの言葉を毎晩述べるため,やがて桜姫は衰弱死した。時貞も病床に就き,日に日に痩せるばかりであった。

 これを見た家老が巫女を呼び寄せ祈祷を行うなど対処をしたが効能がなく,ついに時貞の命運もここまでかと思われたとき,日呑用和尚という高僧が現れ,お梅の方と若侍の殺された花畑で一大法会を行い,和尚は高らかに,
 「寛魂幽霊如猛虎 報念無量焚巴軀 貞婦頃速殿法味 後生成仏勿怨天」
 と読経したところ,晴れ晴れとした顔をしたお梅の方が,
 「しらせばや 穂の出し花の面影に たちそう雲の 迷い心を」
 と高々と謡い成仏したという。

2 解説

 かつて,長沼には「正行寺」という寺院があり,ここには観世音菩薩が祀られていたとのことだが,これはお梅の方の供養のために造営したものであるという(一度中絶したが,貞享四年(1687年)に求願和尚が再建した。しかし,その後廃寺となったという。)。

 また,長沼城主である長沼氏の動向もあまりつまびらやかではないが,所領のある南会津郡田島町に移住したようで,その後,長沼城は二階堂氏や蘆名氏など城主が代わり,元和元年(1615年)の一国一城令により廃城とされている。