福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

三千代姫の怨霊(須賀川市)

1 概要

 室町時代末期,鎌倉に住んでいた二階堂為氏は,先祖から受け継いだ須賀川の領地を一族の治部大輔を代官として派遣,治めさせていたが,やがて治部の勢力が盛んになり,須賀川を奪われるのを恐れた為氏は明け渡しを求めて鎌倉から須賀川に入るものの治部はそれを拒否,同族間の争いに発展する。

 為氏は須賀川の南東にある和田の地に館を築き争うが決着はつかず,疲弊した治部大輔は三年後に明け渡しと隠居を約し一時講和が成立した。その条件として,治部大輔の娘三千代姫が為氏に嫁ぐことになった。この時,為氏13歳,三千代姫12歳という。

 そして三年後,為氏は治部大輔に約束の履行を迫るが,治部大輔はこれに一切応じなかった。これに怒った為氏は三千代姫を送り返し,一戦を交える強攻策を取ることにした。

 和田の館を出て父の元に返ろうとした三千代姫であったが,その父は姫を受け取れないとして,再び和田の館に追い返した。父と夫との間の板ばさみに遭った三千代姫は,ついに妙見山の北方,暮谷沢まで来て自害して果ててしまった。この際,姫だけではなく家臣や侍女達もそれぞれ姫の後を追い自害して果てたという。

 その後,為氏は治部大輔方との戦いに勝ち,敗れた治部大輔は城に火を放ち自害して果てた。そして文安5年(1448年),為氏は和田館から須賀川城へ入場した。

 さて,為氏が入城した後,須賀川城では奇怪な現象が発生していた。為氏の寝所を警備していた若侍の前を,肌は雪のように白く,しかも神々しいほどの上品な身分賎しからぬ,しかし見たことのない女性が現れ,静かに近づいてみると急に姿を消してしまったのだ。

 この話が噂となり,家中の者達が恐怖に慄いていたとき,城中の14,5歳の女童がにわかに狂い,
 「契りしも みとせ鳴海のうつせ貝 身を捨てるこそ 恨みなりけり」
 と謡いながら廊下を幾度も行き来し始めた。これを見た家中の者達が,これは三千代姫の怨霊の仕業と気付いたときには,為氏は重い病に伏す身になっていた。

 やがて,三千代姫の怨霊は為氏の枕元にまで現れることが毎晩続いたため,家臣は修験者や陰陽師を呼び寄せたがその効果はなく,やがて為氏の命までも危うくなった。その時,菅原道真の故事にあやかり,神社を作り祭祀すれば病は平癒する,と言う者がいたので,かつて為氏と三千代姫の二人で住んだ和田の地に神社を建立,姫宮神社と号した。

 また,三千代姫の供養碑が今も涙橋近くに残り,この碑には,
 「人問わば 岩間の下の 涙橋 流さでいとま 暮谷沢とは」
 という三千代姫の時世の句が刻まれている。

2 解説

 二階堂氏は伊達氏に滅ぼされた家であり,あまりその家の内容についての情報が乏しく,上記の話の後為氏がどうなったかまでは定かではない。
 ただ,上記姫宮神社を建立した後,暮谷沢の東方に「十三塚」という,為氏の一族が三千代姫が自刃したそのところに臨んで十三の塚を築いたと言う(現在もいくつかの塚が残っているらしい。)。
 また,須賀川城内にあった妙林寺の前には怨霊桜があったと言う。ただし,どのような桜かは残念ながら不明である。