鳥越城は石川県白山市に存在していた,丘陵地帯に築かれた山城で,現在は国の史跡に指定されている。
同城は,天正初年(1573年)頃,加賀国の一向宗門徒の手により築城されたもので,門徒衆の山内衆の拠点とされた(白山麓の山内惣庄である鈴木出羽守という人物が城主を務めたのだという。)。
しかし,天正8年(1580年),北陸方面を侵攻していた織田氏家臣・柴田勝家の攻撃を受け同城は落城,鈴木一族は滅ぼされる。
同城は織田氏方の城となるが,鈴木一族が滅ぼされた後も門徒の抵抗は激しく,攻防戦が展開されていた。
そして,天正10年(1582年),織田氏家臣・佐久間盛政(柴田勝家の甥)の手により門徒は鎮圧,この際,300余人が処刑されたのだと言われている。
ところで,同城では,落城後,周囲の村人達がいなくなるという事故や事件が発生したといい,さらには,村で亡くなった人達の恨みが未だ残り,幽霊になり姿を現すのだと囁かれているそうである。
これは恐らく,同城で戦った一向宗門徒や上記処刑された人達のことを指しているのだと思われる(当時,惣村に集結する農民は地域的に強固な信仰組織を形成,これが一向一揆に繋がっていて,農村単位で上記の戦いに参加したり,処刑された人がいた=村人達がいなくなったのだ,と形容されているのではなかろうか。)。
信仰に基づき戦い抜いた門徒衆であるが,その魂は今は安らかに眠っているのか,それとも未だこの地を彷徨い続けているのか,詳細は不明である。