福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

三木城(兵庫県)

 三木城は兵庫県三木市に存在していた平山城で,別名釜山城,別所城とも呼ばれているほか,御着城,英賀城と並び,播磨三大城とも呼ばれていた。

 別所氏の手により戦国時代初期に築城,元和3年(1617年)に一国一城令により廃城とされた同城であるが,その名を後世に残す理由の一つに,天正6年から同8年(1578~1580年)にかけて,羽柴秀吉の手により「三木の干殺し」とも呼ばれる壮絶な合戦が行われたためである。

 同城を拠点としていた別所氏は,次第に勢力を増す織田氏とは友好関係を結んでおり,永禄11年(1568年)には織田氏方へと与していた。
 しかし,天正6年(1578年),毛利氏への先鋒を努めるはずであった別所氏は突如同城に立て篭もり,織田氏に反旗を翻す(毛利氏攻めの司令官は羽柴秀吉。)。

 秀吉率いる織田軍は同城城下を焼き払い,支城を次々と攻略,天正7年(1579年)には完全に同城を包囲,兵糧を断つという戦術に出る。

 そして,翌年になるとついには同城の兵糧は付き,また,織田軍の攻撃を受け同城内の支城は次々と陥落,ついには本丸が残るのみとなる。
 もはや打つ手のない別所氏当主・長治は降伏勧告を受け,城内の兵士の一命と引き換えに一族が切腹,約1年10ヶ月にも及ぶ篭城戦はここに終結することになる。

 悲惨な歴史を持つ同城であるが,やはりそのためだろうか,心霊スポットであると噂されている。
 例えば,同城では落ち武者の幽霊が現れる,また,少し離れた場所で道路造成をした際,古い祠(墓とも)を撤去したところ,その後,同所では武者の幽霊が目撃され,事故が増加したなど,合戦の戦死者と思われる武者の目撃例があるそうである。

 また,同城には,「かんかん井戸」と呼ばれる井戸が残されているが,この井戸からは謎のうめき声が聞こえてくることがあるのだという。

 一説には,同城が開城した際,助命嘆願されたはずの兵士達の一部は殺害されたとも言われている。
 餓死者,戦死者,または開城後処刑された者が未だに彷徨っているのかも知れない。