福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

岩屋城(福岡県)

 岩屋城は福岡県太宰府市にある標高約410mの四王寺山中腹に存在していた山城である。

 同城は天文年間(1532~1555年),戦国大名大友氏の家臣・高橋鑑種の手により築城されたと言われている。

 鑑種は武勇に優れた人物であるが,永禄5年(1562年),毛利氏の誘いにより大友氏を裏切ってしまう。これは,鑑種の兄・一萬田鑑相が謀反を理由に大友宗麟に殺されたこと,また,美人と評判の兄嫁を宗麟が妾としたことに恨みを抱いたためと伝わる。

 そのため,鑑種は同地を追われ,永禄12年(1569年),宗麟の命により大友氏の宿老・吉弘鑑理の二男・鎮種が高橋姓を名乗り,天正6年(1578年)には出家して「紹運」と号する。

 天正14年(1586年),九州制覇と豊臣秀吉九州征伐の阻止を目論んだ島津氏が約2万の兵を率いて北上すると,紹運は約700余の兵(763名とも)で岩屋城に籠城する。

 明らかに戦力に差があるにも関わらず紹運らは2週間に渡り奮闘,島津氏からの降伏勧告も受け付けず,ついには紹運自ら薙刀を取り敵陣へ突入,そして最後は櫓の上で恰幅,他の兵士全ても玉砕するという壮絶な最後を遂げる。

 しかし,この奮闘の結果,島津氏は4500余もの死傷者を出す損害を受けたほか,秀吉軍が九州に上陸する時間稼ぎを果たすことができ,結果,島津氏の九州制覇の野望は断たれることとなる。

 なお,この戦いにおいて,同城の兵士は大変な飢餓に苦しんだそうで,同城を訪れた者の中には,飢餓を訴える苦痛の声を聞いた,また,武士と思しき幽霊を目撃した等の話があるようである(ただ,同城は2週間で落城しており,所謂兵糧攻めをした訳ではなく,また,同城が飢餓に襲われていたという話をあまり聞かないため,どこまで真実かは不明である。)。