大阪府大阪市にある大坂城は昭和30年(1955年)に国の特別史跡に指定されたほか,現在城址を含む一帯が大阪城公園として整備されている。
一般に,豊臣秀吉により築城されたイメージの強い大坂城であるが,現存する同城の遺構は徳川期に築城されたものである。
まず,この地には,戦国時代末期にかけて石山本願寺が存在していたのだが,天正8年(1580円),本願寺勢と織田氏の石山合戦の講和後,火災により焼失,天正11年(1583年)より羽柴秀吉により,大坂城の築城が開始された。
慶長3年(1598年),豊臣秀吉が病死すると,同城は遺児・豊臣秀頼が居城としていたが,慶長19年(1614年)の大坂冬の陣,翌年の大坂夏の陣で大坂城はついに落城,豊臣氏も滅亡することになる。
両軍合わせて20万~30万近い兵力が動員された大坂の陣の戦いでは,双方に数多くの戦死者が発生している。
その戦死者の霊が今も彷徨うのだろうか,同城周辺では今もなお落ち武者の幽霊が目撃される,合戦時に発せられた鬨の声のような声が響き渡るなどと言われているほか,心霊写真が撮影されたりするなど,数多くの心霊談がある場所とされているようである。