福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

北ノ庄城(福井県)

 北ノ庄城は福井県福井市に存在していた城で,福井藩の藩庁にもなった福井城の前身の城である。

 北ノ庄城は,織田信長の家臣・柴田勝家越前国北ノ庄を与えられたので,天正3年(1575年)に築城を開始した(なお,同城が築城される以前にも,同地にはその前身となるような城が存在していたようである。)。

 勝家が築いた北ノ庄城は,天守が7層とも9層とも言われる構造で,信長の築城した安土城に匹敵する程の規模を誇る城だったと言われている。

 しかし,天正10年(1582年),織田信長本能寺の変で横死した後,その後継者を巡り羽柴秀吉と争い,そして敗れた勝家はそのまま秀吉と対立,ついに天正13年(1583年)に秀吉と賤ヶ岳の戦いで争い,敗北してしまう。

 羽柴軍はそのまま勝家の本拠地,北ノ庄城へと攻め込み,自らの敗北を悟った勝家は妻であるお市の方共々自刃,同城に火を放ちその生涯を閉じるのである。

 ところで,同城近くを流れる足羽川には,勝家が普請した「九十九橋」と呼ばれる,北半分が木造,南半分が石造の橋が架けられていた。

 勝家没後,同橋では奇怪な噂が流れる。
 それは,勝家が没した4月24日(旧暦)になると,100騎を超える,首のない武士の行列が同橋を通行するのだといい,誰がいうともなく,それは柴田勝家とその家臣達であると噂したのだという。

 この行列を見た者は原因不明の病に倒れ命を落とすといい,勝家滅亡後,同地を与えられた織田氏家臣・丹羽長秀も,この行列を見たため天正13年(1584年)死亡(自刃したとする説もある。)したと言われているほか,江戸時代の享保年間(1716~1736年),「誰も見たことがない絵を描いて欲しい」との依頼を受けた表具師の佐兵衛が,この行列を見て,その日のうちに絵を描いたが,それが遺作になった,等という話が現在に伝わっている(なお,この話は享保17年(1732年)とする資料もある。)。

 もし,万が一,この行列に出会ってしまった場合,一つだけ助かる方法があるのだという。
 それは,「天下の名将,柴田勝家公殿」と叫ぶことで,こうすると,勝家の怨霊の祟りを受けずにすむのだと言われている。