東京都八王子市にある標高約445mの深沢山に築城された山城が八王子城である。
同城は関東に勢力を伸ばしていた北条氏康の三男,氏照が元亀2年(1571年)頃より築城を開始,天正15年(1587年)頃に本拠としたもので,同城は北条氏の居城である小田原城の支城であり重要な軍事拠点であった。
そのため,天正18年(1590年),豊臣秀吉の小田原征伐の際,上杉景勝,前田利家,真田昌幸らの率いる約1万5000の軍勢に攻め込まれることになる。
この時,城主の氏照は小田原城へ駆けつけていたため,城内には城代横地監物以下僅かな城兵,そして領内から動員した農民やその婦女子約3000がいるばかりであった。
豊臣方は前夜のうちに2方向より侵攻,力攻めの攻撃をしかけ,僅か1日で同城は落城してしまう。
この際,多くの戦死者が発生したほか,城内にいた北条方の武将や婦女子が自刃あるいは滝(御主殿の滝)に身を投じ自害,麓の村では流れる城山川の水で米を研ぐと赤く染まると言い伝えられている程の惨状だったのだという(豊臣方は徹底的な殲滅戦を展開,城内にいた者を皆殺しにしたのだとも言われている。)。
小田原征伐の後,関東の地は徳川家康の所領となり,その後,同城は廃城とされ,現在は史跡として整備が進んでいる同城であるが,上記のような壮絶な戦闘が行われた歴史が存在するためか,城系の中では屈指の知名度を誇る心霊スポットとして有名な場所でもある。
今もなお,同城付近,特に御主殿の滝付近においては,鎧姿の武者や白装束の女性の幽霊を目撃した,滝の水の色が赤く染まったという話が頻繁に聞こえ,地元では,同城落城の日に赤飯を炊く(上記した城山川の水で米を研ぐと赤く染まるという言い伝えにちなむ。),また,城山川に棲むヒル(ヒルは清流には棲まないという)は戦死した兵士達の化身である,同城付近に住むクモは子持ちが多いが,それは命を落とした女性達の化身である,と言われているのだという。