大衡城は宮城県黒川郡大衡村に存在してた平山城で,別名越路館と呼ばれていた。
同城は当地の豪族,黒川氏の支流である大衡氏の手により天文13年(1544年)に築城されたと言われている。
しかし,大衡氏は,天正18年(1590年),豊臣秀吉の奥州仕置により所領を没収,滅亡し,同城も廃城されたのだという(ただ,奥州仕置の後に発生した葛西・大崎一揆の際,同城が一揆側が利用・籠城したそうで,その際,水の手が豊富にあるよう見せかけるために崖から米を流したところ,その滝に雀が群がったことから計略がばれ,ついには落城したという伝説があるそうである。)。
現在,同城は昭和43年(1968年)に城址公園が整備されたほか,その周囲には学校が存在しているのだが,噂によると,学校の体育館や校庭では竣工当時,落ち武者の幽霊が目撃される,また,心霊写真に撮影されるという噂が流れていたそうである。
もしかすると,葛西・大崎一揆で命を落とした武者の幽霊が今も彷徨っていたのかも知れない。