日野江城は長崎県南島原市に存在していた平山城で,日之江城,日ノ江城,火ノ江城,日ノ枝城などとも記載されることのある城で,昭和57年(1982年),国の史跡に指定されている。
同城は建保年間(1213~1219年),藤原経澄により築城された城で,後,藤原氏は有馬姓を名乗ることになる。
有馬氏は島原半島南部の一勢力に過ぎなかったのだが,有馬貴純の時代になると周辺諸勢力を次々と倒し戦国大名化,一時期は21万石を持つまで成長した。
しかし,後ろ盾であった長門国・周防国の大内氏が滅亡すると龍造寺氏の圧迫を受けるようになり,幾度となく同城は攻撃を受けたが都度持ちこたえたのだという。
江戸時代に入ると有馬氏は島原藩を立藩するが,慶長17年(1612年),時の当主・有馬晴信は岡本大八事件に連座して切腹,跡を継いだ直純はその2年後,日向国に移封されてしまう。
そして,元和2年(1616年),松倉重政が同地に入封,同城を居城とするが,同城に不便を感じたため新たに島原城を築城,同城は廃城とされている。
ところで,同城では,時折女性の悲鳴声が聞こえてくる,また,石垣の近くに並べられた生首が目撃されるという怪奇現象が発生するのだという。
一説には,同城では廃城後,松倉氏によるキリシタン弾圧の一環として,キリシタンに対する拷問が実施されていたらしい。
もしそうだとしたら,今もこの地には,弾圧により命を落とした者達の無念が残るのかも知れない。