福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

竹田城(兵庫県)

 兵庫県朝来市にそびえる標高約353mの古城山に築城された竹田城は別名虎臥城とも呼ばれている山城で,雲海に浮かび上がる遺構は特に有名で,昭和18年(1943年)には国の史跡に指定されている場所でもある。

 同城の築城年については不明な点が多いそうであるが,同城は同地に勢力を有していた山名氏の持城として機能しており,室町時代や戦国時代にかけて,周辺勢力の細川氏や赤松氏などとの争いの場となっている。

 後,天正5年(1577年)になると,織田信長の軍勢が同城に攻撃を仕掛ける。この際,同城は地元国人の太田垣氏が入城しており,同城は落城したのだという(攻撃をしたのは織田氏家臣・羽柴秀長羽柴秀吉の弟)で,そのまま城代となった。)。

 天正7年(1579年),秀長は明智光秀の支援のため丹波国に侵攻すると,同城は再度太田垣氏が入城,しかし,翌年,再度織田氏但馬国に侵攻すると同城は抵抗することなく降伏,太田垣氏による支配は終焉を迎える。

 この後,同城は,斎村政広が城主となり,同時代に現在の竹田城が完成することになるが,政広は慶長5年(1600年)に発生した関ヶ原の合戦の際,当初西軍に属していたが,後東軍に寝返り,近隣の鳥取城を攻めるも,その際,城下を放火したことが徳川家康の機嫌を損ね,結局許されず切腹を申し付けられてしまう。

 そして,同城については,徳川氏の意向により,そのまま廃城とされる運命になるのである。

 現在の同城は,上記のとおり,景観がとても美しい城であるため,多くの観光客が訪れる場所として有名である。
 しかし,幾度かの合戦を経た経験があるためか,心霊スポットとしての側面も持つようで,同城を訪れた者の中には,他に観光客がいないにも関わらず女性の話し声が聞こえてきた,また,首のない人物や生首,そしてオーブなどが写りこむ心霊写真が撮影されたことがあるのだとされているのである。