福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

箕輪城(群馬県)

 群馬県高崎市に存在していた箕輪城は昭和62年(1987年)に国の史跡に指定された平山城である。

 同城は永正9年(1512年),同地を支配する長野業尚により築城されたとも,その子・信業により大永6年(1526年)に築城されたとも言われている。

 この時代,上野国には関東管領山内上杉氏が存在していたが,永禄元年(1558年),当主・上杉憲政が越後に逃亡すると,北条氏,武田氏,上杉氏(旧長尾氏)が侵攻を繰り返す草刈場であった。

 そのような中,長野氏(当主は「上州の黄斑」と呼ばれた長野業正)は上杉氏の後ろ盾のもと,地元の箕輪衆をよくまとめ,長野氏黄金期を築き上げた。
 特に,幾度も攻めてくる武田氏を巧みな采配で撃破することに成功している。

 しかし,永禄4年(1561年)に業正が死亡すると,その跡を三男の業盛が家督を継ぐ。
 当初,業正の死は秘されたがやがて知られるところとなり,武田氏は長野領に侵攻,次第に長野氏は劣勢となり,ついに永禄9年(1566年),武田氏は箕輪城に総攻撃を開始,ついに同城は落城,業盛は本丸北側に存在してた御前曲輪の持仏堂にて自刃,長野一族も滅んだのだという。

 この折,業正夫人藤鶴姫は家臣と城を脱出するも,追っ手が来たため,家臣がそれを防ぐ間一人で逃げるも,高野谷戸と呼ばれる場所で「おーい!」と家来が呼びかける声を敵だと思い,その場で自害したと伝えられている(同所に墓地が存在しているとのこと。)。

 なお,全くの余談であるが,藤鶴姫は業正夫人,つまり,先代当主の姫のようであるが,個人的には業盛夫人ではないかとも思っている。業正夫人なら相当高齢でありそう(業正は60または70代で死亡している)だし,夫死後,剃髪して尼となっていて,その法名の方が今に伝わりそうだからである。
 それに,子供である業盛だけ城内で自刃し,母親だけ逃げるということ自体、あまり聞かない話だからである(皆無ではないだろうが。)。

 以上のことから、業盛が,自身の妻,または子供も一緒に城を脱出させたと考えるのが自然と思える。

 さて,長野氏滅亡後,箕輪城は武田氏の所領としてその家臣が城代に任じられていたが,天正10年(1582年)に武田氏が滅亡すると今度は織田氏の家臣・滝川氏が支配することになる。
 ところが,同年,本能寺の変が発生し織田信長が横死,そして滝川氏も北条氏との神流川の戦いに敗れると,箕輪城の支配権は北条氏に移ることになる。

 そして,天正18年(1590年),小田原征伐の際,箕輪城前田利家上杉景勝連合軍の攻撃により開城,そして北条氏が滅亡すると,同年徳川家康が関東を与えられ,その際,家臣・井伊直政に12万石の所領と箕輪城が与えられた。
 直政は箕輪城の改修を行うが,慶長3年(1598年)に高崎城に移封された際,箕輪城は廃城となるのである。

 幾度かの戦火の中に晒された箕輪城だが,特に長野一族終焉の地ということもあり,同城を訪れた者の中には,原因不明の体調不良に教われたりすることがあるほか,落ち武者・鎧武者の幽霊が目撃されたり,白い着物を着た女性の幽霊が目撃されるのだといわれているのである。
 今なお恨みの念を抱いたまま,同地を彷徨い続けているのだろうか。