福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

増山城(富山県)

 増山城は富山県礪波市に存在していた,旧名和田城と呼ばれていた山城で,平成21年(2009年)には国の史跡に指定されているほか,越中三大山城の一つにも数えられていた。

 資料によれば,同城は南北朝時代の正平18年/貞治2年(1363年)に「和田城」という名で現れており,その頃には築城されていたものと推測されている。

 戦国時代に入ると,同地に勢力を有していた神保氏の重要拠点として使われていたようで,永禄3年(1560年)に上杉謙信が侵攻した際,神保長織が同城で籠城している。
 この際は戦上手の謙信も攻めあぐねたようであるが,永禄5年(1562年),謙信に降伏,その際,増山城を本拠地とする。

 神保氏は上杉氏に従属はしていたが,反上杉をその路線としており,中央の織田氏と誼を通じていた。
 そのため,天正4年(1576年),足利義昭が信長包囲網を形成すると上杉氏も反織田氏の態度を鮮明にし北陸地方へ侵攻,この際増山城も攻撃され落城,神保氏当主長城の消息はここに途絶えてしまう。

 後,同城は上杉氏が支配していたが,天正9年(1581年),織田氏の攻撃を受け落城,織田氏家臣佐々氏が統治していた。
 そして,佐々氏から前田氏と同地の支配者は変遷を遂げたが,同城については,元和の一国一城令(慶長20年/元和元年(1615年))により廃城したものと考えられている。

 ところで,同城には,「神保夫人入水井戸」が現在も残されている。
 これは,上杉謙信に攻められた際,神保長織の妻子が身を投じたとされる井戸である。

 なお,神保長織は,上記の天正14年における増山城落城の折はすでに死亡していたと考えられており,ここで言う妻子とは,長織の妻と,長織の跡を継いだ城主・長城のことを指すのかも知れない。

 そして,この井戸で写真撮影をしたところ,人間の顔とも頭蓋骨とも思えるような心霊写真が撮影されたのだという。

 未だこの地には,無念の思いを抱く霊が残る場所なのかも知れない。