かつて,長野県長野市には葛山城という山城が存在していた。
同城は,天文24年(1555年),武田氏に帰順した栗田氏が旭山城に籠城したため,それに対抗するための城(砦)として,長尾景虎(後の上杉謙信)が築城したのだといい,落合氏が城主として守備していた。
しかし,弘治3年(1557年),同城は武田信玄の侵攻を受けることになる。
まず,同城中腹にある,静松寺を通じ落合氏の一族を寝返らせる。
続いて,水の手を切った後,さらに火攻めを受け同城は落城,数多くの武士や兵士が命を落とし,武田氏の挙げた首の数は凄まじい数だったのだという。
また,火攻めで逃げ場を失った女達は絶壁から身を投じ絶命,その場所は本丸北東で,今も姫谷と呼ばれているそうである。
このように壮絶な戦いが繰り広げられた場所であるためか,戦死した武将の幽霊や身を投げた女性達の幽霊が目撃されると言われている。
なお,城攻めに手を貸した静松寺の住職が同山を登ると狂死するという祟りがあると伝わるそうで,今もまだ,同城で討死した者達が残る,危険な場所のようである。