群馬県太田市の中心部にある標高約235mの金山の上に築城された山城が新田金山城で,関東七名城の一つにも数えられているほか,昭和9年(1934年)に国の史跡に指定され,現在は公園も整備されている。
同城は,文明元年(1469年),新田一族である岩松家純により築城されたとするが,文献によれば,それ以前である建武3年(1336年)に佐野義綱が新田城を攻めたとする記録があるようで,もしかすると文明元年以前に築城された可能性も否定できないようである。
岩松家純没後,岩松氏では内紛が発生,重臣横瀬氏と岩松氏が対立し,横瀬氏が籠城する新田金山城へ岩松氏が攻め込む事態にまで発展したが,やがて横瀬氏が岩松氏を排除することに成功,後,横瀬氏は由良氏に改姓している。
由良氏の勢力地である上野国は,武田氏,上杉氏,北条氏,古河足利氏と大勢力に周囲を囲まれていたため,由良氏はその大勢力の中を巧みに生き抜いてきた。
そして,天正10年(1582年),武田氏が織田氏に滅ぼされると,由良氏は関東方面の支配を任されていた織田家臣・滝川一益に仕えるが,同年の本能寺の変で織田信長が横死後発生した,滝川氏と北条氏との合戦,神流川の戦いで滝川氏が敗北すると,由良氏は北条氏へ転ずることになる。
翌年,由良氏は北条氏の元に祝辞のため出仕したところ,北条氏より佐竹氏攻略のため,新田金山城の借用を申し出る。この時の当主・由良国繁は了承するが,新田金山城に残る重臣が反発,国繁の母・妙印尼を擁立,籠城している(この籠城は同年冬,北条氏の攻撃で落城している。)。
その後,北条方の城となった同城だが,天正18年(1590年),豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城,そのまま廃城となっている。
歴史上,幾多の合戦,攻城戦の経験をした同城であるが,戦国時代の幽霊ではなく,どうも近現代の幽霊が現れると噂されているようである。
特に,女性の幽霊の目撃談が多いようで,一説には,同城付近で自殺(焼身自殺とも)した女性ではないか,と言われているようである。
ほかにも,着物姿の女性や日本軍兵士と思われる幽霊が現れるとされている場所のようである。