大分県竹田市に存在していた岡城は,標高約325mの天神山に築かれた山城で,別名臥牛城,豊後竹田城と呼ばれている。
その築城は古く,文治元年(1185年),緒方氏が源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城したのがその始まりとされ,後,大友氏の手により拡張され,岡城の名前が付けられたのだという。
そして,戦国時代に入ると同城はそのまま大友氏の持城とされたが,天正6年(1578年),大友氏が耳川の戦いで島津氏に敗北すると,島津氏の北上に抗うことができず,次々と城を落とされていくことになるが,岡城については,大友氏家臣・志賀親次の采配の元,島津氏を再三撃退,同城を守りぬいた。
その後,文禄2年(1593年),朝鮮出兵の失態で大友氏が所領を没収されると,同城には中川氏が入城,そのまま同氏がこの地を支配していくことになるのである。
ところで,同城にある急な石段には,「馬の首」という名の心霊スポットがあり,若侍達がそこで肝試しを行ったのだという。
言い伝えに寄れば,島津氏からの猛攻を受けていた時のこと,戦場から主人の死を伝えるべく帰ってきた美しい栗毛の馬が,その妻から,戦場より逃げ帰ったと勘違いされて首を刎ねてしまう。
その数日後,妻が外から聞こえてくる馬の蹄の音に気が付き,外を見ると,首のない美しい栗毛の馬が石段を上がってきたのだという。
これを見た妻は自身の行為を悔やみ,ついには伏せてしまうが,そのまま病で命を落としたそうである。
そして,この美しい栗毛の馬は,現在も同城の石段を駆け回っているのだとも言われているそうである。