松阪城は三重県松阪市に存在していた平山城で,平成23年(2011年),国の史跡に指定されている。
同城は天正16年(1588年),蒲生氏郷の手により,同地にある四五百森に築城された。
なお,四五百森には,松阪城築城以前に,四五百森城と呼ばれる城が存在していたのだという。
氏郷は松阪城周辺に近江商人を呼び寄せたり楽市楽座を設けたため,同地は商都として栄えることになるが,天正18年(1590年),氏郷は小田原征伐の戦功により会津の地を与えられることになる。
代わりに同地は服部氏が入るが,同氏は文禄4年(1595年)に所領没収,続いて古田氏が入り統治するが,同氏は元和5年(1619年),石見国に転封となり,同地は紀州藩の領内となり,同城には城代が置かれることになる(なお,正保元年(1644年),同城の天守が台風で倒壊したため,以後,陣屋が置かれたのだという。)。
ところで,同城には,一風代わった噂が伝わる。
なんでも,天守付近には処刑に使われた「首切り石」が残り,夜,同城を訪れると,真っ赤に濡れた石がある,また,この周囲では不可解なうめき声が聞こえた等という怪奇現象が発生するのだという。
一説には,江戸時代,この場所では罪人の処刑が行われていた,と言うのであるが,江戸時代の処刑場の多くは城外にある例が多いことを考えると,この地で処刑を執行していたということは俄かに考えずらいようにも思われる。
ただ,このような噂が残るということは,何かしらいわくが存在する場所であることは否定できないところである。