福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

三原城(広島県)

 三原城広島県三原市に存在していた平城で,現在は国の史跡に指定されている。

 同城は毛利元就の三男・小早川隆景の手により永禄10年(1567年)頃より整備されたと言われている。
 隆景は毛利氏において小早川水軍を率いており,同城も,瀬戸内海を軍事的に掌握するために築かれた城で,隆景は同城に拠点を移すことになる。

 毛利氏は天正11年(1583年)以降,羽柴(豊臣)秀吉に従属する道を選択することになるが,隆景は豊臣政権下,独立した一大名としての待遇を受け,天正15年(1587年)には筑前国を与えられ,同地の名島城に居城を移している(もっとも,隆景は毛利氏の一武将の体裁は保持している。)。

 もっとも,文禄4年(1595年)になると隆景は家督を養子の小早川秀秋に譲り,自身は三原城へ隠居,この際,同城の石垣の改修を実施している(隆景は慶長2年(1597年)に死去している。)。

 隆景死後の慶長5年(1600年)に発生した関ヶ原の戦いにおいて,毛利氏は西軍の総大将となったため長門周防国へ移封,安芸・備後国には福島正則が入封すると,三原城には正則の養子の福島正之が入城している。

 ただ,福島氏による同地支配は長くはなく,元和5年(1619年),広島城を無断修繕したことにより改易処分を受けると,同地は浅野長晟に与えられ,さらに三原城には筆頭家老・浅野忠長が入城,同城は広島藩の支城として幕末まで利用されている(なお,宝永4年(1707年)には,宝永地震の影響による石垣修理が行われた。)。

 ところで,同城の石垣には奇妙な噂があるらしい。
 それは,夜間,この石垣付近を訪れると,人柱にされた者の幽霊が這い出して現れる,というものである。

 上記のとおり,小早川氏と浅野氏の時代に石垣に手を加えられているようだが,いずれかの時代に,人柱を立てられたのだろうか(なお,同地には「やっさ祭り」という,築城完成を祝い,老若男女問わず楽器を打ち鳴らし酒に酔い,思い思いの歌を口ずさみ踊り始めたのを起源とする祭りがあるが,これは小早川隆景が築城した時代のことに由来するそうである。そうすると,浅野氏時代に人柱が立てられたのだろうか。)。
 事の真相は不明である。