大河内城は三重県松阪市に存在していた山城である。
同城は伊勢国を拠点としていた同国国司・北畠満雅が,応永22年(1415年)に室町幕府に対して挙兵する際に備えとして築城したものである。
同城には満雅の弟・顕雅が入城,大河内氏を名乗り,北畠氏庶流として治めていたのだが,戦国時代の永禄年間(1558~1570年),織田信長が伊勢国に侵攻すると,北畠氏当主・具教は,嫡男の具房とともに同城に本拠地を移し,永禄12年(1569年)より織田氏の侵攻に対し籠城する道を選ぶ。
この際,織田軍約7万,北畠軍約8000の兵力と言われているが,約1ヶ月に渡る包囲の後,織田氏と北畠氏は信長の次男・信雄を北畠氏の養子とし,信雄に同城を譲り,北畠氏は城を退去するという条件で和睦,北畠氏は条件を守り退去する。
その後,天正4年(1576年),信雄は南伊勢を統治する場を田丸城に移したため,その際大河内城は廃城とされたのだという。
ところで,上記籠城戦の際,織田氏はまむし谷と呼ばれる場所から侵攻したところ,北畠氏の反撃を受け撃退されたというが,大分被害が出たのか,同地では,その時命を落とした者なのか,苦しむようなうめき声が聞こえたり,また,馬のいななきが聞こえてきたりするのだと言われているそうである。