福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

福岡城(福岡県)

 福岡県福岡市に存在していた福岡城は別名舞鶴城,石城と呼ばれ,江戸時代を通じて福岡藩の藩庁として機能していた平山城で,昭和32年(1957年)には国の史跡にも指定されている。

 同城は,慶長5年(1600年)に発生した関ヶ原の合戦で戦功のあった黒田孝高(官兵衛),長政親子が筑前国を与えられたことに伴い,翌年から築城を開始,慶長12年(1607年)に完成させた城で,現在,舞鶴公園大濠公園が整備されている。

 ところで,同城には,かつて「お綱門」と言う,曰くのある門が存在していた。
 福岡藩2代藩主・黒田忠之の時代(元和9年~承応3年(1623~1654年))の頃,忠之に仕える浅野四郎左衛門という武士がおり,その妻はお綱という名だった。

 忠之は暗愚な藩主で,身辺に意のままに動く家臣をはべらせていたが,四郎左衛門はその筆頭とも言える人物であった。

 ある時,忠之は大坂で見つけた芸妓を寵愛,福岡に連れてきたが,家老にたしなめられたため四郎左衛門に下げ渡した。
 四郎左衛門は芸妓の美しさにのめり込み,お綱と2人の子供を屋敷に置いたまま顧みなくなり,生活に困窮したお綱は下男を芸妓のところに送るものの相手にされず,下男はそれを苦に自害してしまう。

 この出来事に狂乱したお綱は2人の子供の首を刎ねて腰に下げ,白装束で薙刀を手に四郎左衛門の屋敷に乗り込むが同人は登城していて不在,逆に寄宿していた浪人・明石彦五郎に斬られてしまう。
 それでもお綱は,最後に四郎左衛門に一太刀浴びせようと城に赴くものの,城門に手をかけたまま絶命する。寛永7年(1630年),桃の節句の日のことで,以後,この門は「お綱門」と呼ばれるようになる。

 この後,四郎左衛門は熱病に罹患し1年後に病死,また,彦五郎も悲惨な最期を遂げたとされるほか,お綱が襲撃した四郎左衛門の屋敷は「凶宅」と呼ばれ,長宮院と呼ばれる寺院が建立されるまでは放置されたのだという(なお,この話は史料により,様々なパターンがあるようで,ここに掲載したものはあくまで一例である。)。

 また,門自体も,触れると熱病となる,門近くの草木を持ち帰るとお綱の祟りを受けるといわれていたそうである。

 明治維新後,お綱門は長宮院に納められたそうだが,太平洋戦争時の空襲で焼失したといい,長宮院自体も今はなく,現在の家庭裁判所がその跡地なのだという(そして,そもそもお綱門がどこに存在していた門かも不明だという。)。

 現在,お綱は福岡市内にある眞光院に「お綱堂(お綱大明神)」として祀られ,地元の人々の手で手厚く信仰されている。