福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

松倉城(富山県)

 松倉城富山県魚津市にある標高約430mの松倉山(鹿熊山)に築城された山城で,別名金山城とも鹿熊城とも呼ばれた山城で,越中三大山城の一つにも数えられている。

 同城は建武2年(1335年)頃の築城と言われており,普門氏,桃井氏と城主が変遷,南北朝時代の後にはこの地に勢力を有していた椎名氏が居城とし,政治や軍事の中心として栄えていた。

  しかし,永禄5年(1562年),神保氏との戦い(神通川の戦い)で椎名氏が敗北,松倉城下まで攻め寄せてきたため,椎名康胤は上杉謙信に援軍を要請,これを撃退することに成功する(ただ,神保氏の勢力は未だ健在であり,康胤としては不満を抱いていた。)。

 その不満が表面に出たのだろうか,永禄11年(1568年),康胤は武田信玄と手を結び謙信に対し反乱を起こす。
 翌年,謙信は兵を率い松倉城を包囲するが,同城は天然の要害であり容易には落ちず,約100日間の包囲の後,謙信は越後へ引き上げており,その際,康胤との間に和議が結ばれているようである。

 そして元亀3年(1572年),武田信玄の西上作戦のため越中に侵攻して来た一向一揆に康胤は呼応,再度挙兵する。
 それに対し謙信は苦戦するもついには駆逐,康胤は松倉城に追い込まれ,ついに翌年,同城を開城することになる(康胤のその後の状況は不明だという。)。

 以後,同城は上杉氏家臣河田長親が城代を務め,天正8年(1580年)には神保氏の攻撃を撃退している。
 天正10年(1582年),魚津城が織田氏の攻撃で落城すると,松倉城織田氏方に落ちるが,同年発生した本能寺の変の混乱に乗じ奪還しているが,翌年,城主須田満親は佐々成政に開城,以後,同城は佐々氏の支配下となる。

 しかし,佐々氏は豊臣秀吉に降伏後,天正15年(1587年)に肥後国に移封され没落,その後,前田氏が文禄4年(1595年)にこの地を与えると,松倉城の麓,鹿熊の地にあった城下を魚津へと移動,同城は慶長年間(1596~1615年)に廃城となったのだという。

 数多くの合戦を経験している松倉城であるが,そのためだろうか,地元では心霊スポットと噂される場所のようで,落ち武者の幽霊が現れたりするなど囁かれているようである。