春日山城は新潟県上越市にある春日山山頂に築かれていた山城で,日本五大山城に挙げられることがあるほか,昭和10年(1935年)には主城周辺が,昭和49年(1974年)には東城砦(別名春日砦)がそれぞれ国の史跡に指定されている。
同城は南北朝時代,越後国守護・上杉氏の手により築城されたのがその始まりとされているが,永正4年(1507年),越後国守護代・長尾為景が上杉房能を追放すると,自らが同城の城主として入城する。
以降,為景,晴景(為景の子),景虎(為景の子,後上杉姓となり謙信と号する),上杉景勝の四代に渡り居城としたが,慶長3年(1598年),景勝が会津へ転封となるとその後に堀氏が入城,同氏が福島城を完成させると慶長12年(1607年)に春日山城は廃城となる。
現在,同城跡地には春日山神社(明治34年(1901年)創建),毘沙門堂(昭和6年(1931年)復元)が存在しているが,そのうち,毘沙門堂については,夕方~夜間近付くと人魂が目撃される,という噂があるようである。
なぜこの地で人魂が目撃されるのかは不明であるが,上記した為景が房能を追放した際に死者がでたのか,または,天正6年(1578年),謙信の死後に生じた上杉氏の内紛「御館の乱」の際に死者が出たのだろうか。
もっとも,これらはあくまで推測でしかなく,真相は不明である。