福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

魚津城(富山県)

 魚津城は富山県魚津市に存在した平城で,別名小津城,小戸城と呼ばれ,同地に存在していた松倉城の支城の一つである。

 伝承によれば,同城は建武2年(1335年),椎名孫八入道という人物により築城されたと言われている。

 戦国時代,同城は椎名氏の支配下にあったが,上杉氏の傘下にいた椎名氏が反乱を起こしたため上杉氏に追討(元亀3年(1572年)のことか)を受け,同城は上杉氏の手に落ち,越中国における重要拠点として位置付けられた(城代には河田長親が置かれた。)。

 天正4年(1576年),上杉氏は,それまで織田氏とは同盟関係(武田氏,北条氏という共通する敵がいた。)にあったが,織田氏の敵である毛利氏に逃れた足利義昭が反織田勢力を糾合すると,上杉氏もそれに呼応,織田氏との同盟関係がここで途切れてしまう。

 そして,天正6年(1578年),上杉謙信が急死すると,その跡を継いだ上杉景勝は翌年武田氏との同盟を締結したため,引き続き織田氏と上杉氏は敵対関係となる。

 織田氏は謙信死後,着々と北陸方面進出の足掛かりを築き,ついに天正10年(1582年),武田氏を滅ぼすと,同年,魚津城を取り囲むが,その際は,背後の富山城を神保氏が急襲したため一時撤退,同城を奪還した後,再度,魚津城への攻撃を再開した。
 その際の兵力は織田氏約4万,上杉氏約3800という。

 この戦いで,魚津城を守備する上杉氏は援軍が来ない中決死の戦いを展開,約3ヶ月に及ぶ篭城に耐えたが,最終的には守備していた上杉氏方の武将13名が自刃,兵士達の多くは玉砕して果てたのだという。

 しかし,魚津城落城の翌日,織田信長は本能寺において横死,織田軍は撤退したため,上杉氏は同城を奪回する。

 翌年,態勢を整えた織田氏の部将佐々成政が同城を包囲すると,城代・須田満親は開城,佐々氏に明け渡す。同城は佐々氏の支配下になるが,後,佐々氏は豊臣秀吉と対立,攻撃を受けて降伏の後,天正15年(1587年)に肥後国に移封される。

 その後,同地は前田氏の所領となるが,魚津城については,元和の一国一城令により廃城とされたようである。

 現在,同城の遺構は残らず,時音の小学校や裁判所がその敷地に建てられているとのことである。

 さて,数多くの武士の血が流れた同城では,噂によるとこの近辺を車で運転していた人が,二度も原因不明のタイヤがロックするという現象により事故を起こした,それが実はこの地に憑り付く落ち武者達の幽霊の仕業ではないか,等と言われているのだという。

 この近辺を運転する際には,十分注意が必要なようである。