岩出山城は宮城県大崎市に存在していた山城で,応永年間(1394~1428年)に築城されたとされ,足利氏一門で奥州探題の地位にあった名門・大崎氏の家臣・氏家氏の居城であり,その時代は「岩手沢城」と呼ばれていた。
同地を治めていた大崎氏は天正18年(1590年),奥州仕置により改易,同地は木村氏の領地となるが,翌年,伊達政宗が米沢から移封されることになるが,この際,徳川家康が同城に留まり,同城の縄張りや改修を行い,伊達政宗に引き渡したと言われている。
伊達政宗は仙台城が完成する12年間,同城を居城としており,その間,「岩手沢」から「岩出山」へと名称が改められた。
そして,仙台城が完成して以後,伊達政宗の四男・宗泰を初代とする岩出山伊達氏が居住する要害(一国一城令により城から要害に変更)し,幕末まで至っている。
この際,現在の岩出山城は城山公園として整備されており,春になると桜の名所として知られている場所になっている。
また,「政宗公平和の像」が建てられている(はじめは仙台城に置かれたが,昭和37年(1962年),同地に移されたのだという。)のだが,この像付近では,心霊写真が撮影されると噂されていると言われている。
過去,城山公園では自殺が発生したともいい,何か心霊写真が撮影できることと関係性があるのかも知れない。