1 概要
郡山城は,当時安積の地を治めていた郡山氏(伊東氏)の居城であるが,築城年は不明であるほか,実は詳細な場所が不明であり,市内西ノ内に存在していたとする説,また,市内駅前一丁目に存在していたとする二説が存在している(現在,遺構は開発によりほぼ破壊,特定は出来ない。)。
かつての城跡であったことからか,郡山城跡周辺では,落ち武者の幽霊を目撃したとする噂が止まらないのだという。
2 解説
資料や証拠の乏しい郡山城であるが,この城一帯では,天正16年(1588年),伊達政宗率いる伊達氏と蘆名・相馬氏その他の連合軍による「郡山合戦」が繰り広げられた過去がある(郡山城が連合軍側に包囲されたため,そこに伊達氏が援軍を送ったことにより,本合戦が始まることになる。)。
この戦いでどの程度の討ち死者が出たかは不明であるが,伊達氏側は約600騎,連合軍側は約4~8000騎の兵数で,伊達氏は山王山を陣とし戦ったが,伊達氏側では家臣の伊東重信が討ち死にしているほか,昼夜やむことなく互いに4~5000発の鉄砲を撃ち合う,激しい銃撃戦が行われたとされ,かなり激しい戦闘が繰り広げられたことが推測される。
上記のとおり,郡山城の場所は確定していないが,どちらも街中,しかもすでに開発されている場所ではあるが,この近辺で激しい戦闘が行われたことは事実であり,落ち武者の幽霊が出るというのも,その戦いで討ち死にした武者がこの世に未練を残しているため,今も現世に姿を現しているのかも知れない。