北見市には「鎖塚」と呼ばれる塚と供養碑が残されており,そこには,暗い歴史の事実が隠されている。
まだ北海道の開発が進められていなかった明治時代,当時のロシアの南下政策に対抗するため,軍事道路を建設する必要に迫られていた。
そこで,札幌-旭川-北見-網走を結ぶ中央道路(現在の国道39号線,同333号線,道道103号線,同104号線に相当)を開削することになるのだが,人力頼みのこの時代,不足する労働力を補うため,網走監獄や空知集治監にいた囚人約1000人も労働力として駆り出された。
彼らは,不衛生な仮小屋暮らしの中,2人1組で足枷を鎖で結び付けられ,万が一脱走した場合には耳に穴を開けて鎖で足枷と結ばれるという苛酷な環境の下,早朝から深夜まで過酷な労働に従事させられたのだという。
その結果,約200人以上の囚人が死亡したのだが,その遺体は道端に埋められて上に土をかけられただけの状態であったといい,中には鎖を付けられたまま埋められた者もいるとのことである(また,一方の囚人が死ぬと,まだ生きているもう一方の囚人は鎖で結ばれたまま生き埋めにされたとも言われている。)。
そのため,その土饅頭が鎖塚と呼ばれるようになり,かつては至る所に存在していたというが,現在では道道104号線に3箇所残るだけなのだという。
現在は昭和51年(1976年)に供養碑が建てられているが,この地で息絶えた者達は未だ浮かばれず,同塚に訪れると,「ジャラジャラ」と鎖を引きずるような音が聞こえたり,その方向を見るとそこには囚人の幽霊画いる・・・などと言われているのだという。
現在も強い怨念の残るスポットであると言える。