令和2年9月29日 改訂
1 概要
相馬中村神社は,相馬市中心部,国道115号線沿いにある中村城跡の南西にある神社で,同城を居城とした大名・相馬氏が,同氏の守護社である妙見社を慶長16年(1611年)に建立したのがその始まりとされている。
なお,同社は,神事として有名な相馬野馬追の初日に行われる出陣式の会場でもある。
由緒正しい神社である同社であるが,実は心霊スポットとしての一面を持つとされている。
伝え聞こえる噂によると,同神社敷地内では鎧姿の武者の幽霊が現れるのだという。
2 解説
相馬中村神社の歴史については上記のとおりであるが,本来の敷地ともいえる中村城の歴史はさらに古く,延暦年間(782~806年)まで遡るとされている。
中村城は,やはり上記のとおり,江戸時代には大名・相馬氏の居城であったが,同氏が本拠を同城に移したのは慶長16年(1611年),つまり相馬中村神社の建立と同時期である。それまでの間,相馬氏は牛越城(南相馬市原町区)や小高城(南相馬市小高区)を居城としており,中村城には城代を置き,隣接する伊達氏の侵攻に備えていた。
さて,中村城の城代の歴史を紐解いてみると,まず,中村清信という城代は,永禄6年(1563年)に伊達氏に寝返ったため相馬氏に討ち取られている。
次に,相馬氏の一族である相馬隆胤が城代に,その父相馬盛胤が隆胤が後見役として同城に入城したのだが,天正18年(1590年)に中村城外で発生したで隆胤は戦死,慶長7年(1602年)に盛胤が病死している。
この地に現れるという鎧武者の幽霊とは,これらの出来事に関連した,討ち死にした武者の幽霊と考えるのはいささか乱暴であろうか。
さて,話は少しそれるのだが,私が以前,相馬市に住んでいた頃,ある方から面白い話を聞いたことがある。
その方は相馬市にある某官公庁に勤務していた方で,その勤務地は中村城跡の敷地内にあったそうである(官公庁が旧城跡の敷地内にあるのは決して珍しい話ではない。)。
なんでもその官公庁の駐車場の片隅に未舗装の部分があったそうなのだが,ある日,突然その実舗装部分の一部が陥没するという事件が発生したのだという。なぜ陥没したかと言うと,そこにはかつて井戸が存在していたが,いつの頃かそのまま土を入れ埋めていたらしく,刻が過ぎ突然陥没したらしい。
幸いにもけが人等,人的物的被害はなかったそうであるが,そもそも井戸等水に関するものは,丁寧にお祓い等を行い,通気孔を設けた上で埋める必要があると聞き及ぶ。このような「いわく」の積み重ねが心霊現象に結びついているように思えるのは私だけだろうか。
中村神社を示す看板類。
神社正面には馬(神馬)の石碑が設置されている。
中村神社の歴史が書かれた看板。
中村神社の鳥居及び本殿の様子。
参道の様子。
中村神社には運動場が隣接している。