令和2年1月23日 改訂
1 概要
須賀川市市街地に整備されている公園で,妙見山と愛宕山という丘陵からなる。
自然が残るなかに子供向けの遊具も設置されていることから,市民にとっては憩いの場となっている。
また,「日本三大火祭り」の一つに数えられることもある「松明あかし」開催の場に指定されている。
しかしながら,同公園は心霊スポットとしての顔を持ち合わせているようである。
まず,妙見山についてである。
噂によると妙見山は,地元の人間はよからぬことがあるという理由で,本来余程のことがないと近付かない場所とされているという。
次に愛宕山についてである。
愛宕山も妙見山同様,雰囲気の良くない場所とされているようである。
また,同山下にある,「琵琶池」と呼ばれる柳に囲まれた池があるが,そこでは心霊現象が発生すると囁かれているほか,この池に流れ込んでいると思われる,周囲を流れる小川に架かる橋でも心霊現象が発生すると囁かれているという。
この2つの山以外,同公園内においては,深夜に訪れると子供の幽霊が目撃できるという噂もあるようで,個々の特定の場所というより,この公園全体が心霊スポットのようである。
2 解説
私も同公園には野鳥撮影のために幾度か訪れており,上記の琵琶池や橋(朱塗りの小さな橋を指しているものと思われる。)を一通り眺めている。
同公園は,「日本の都市公園100選」に選ばれている程の公園で,来訪するたびに,必ず市民と思われる方々が思い思いくつろいでいる姿を見ており,この小高い丘陵地帯にある公園が心霊スポットとされているのか,よく分からずにいた。
さて,同公園について調べてみたところ,かつて愛宕山には,この地を統治していた二階堂氏の居城が存在していたという(なお,二階堂氏の居城である須賀川城は,須賀川市諏訪町(愛宕山の近く)に存在したという愛宕山に存在した城と同一か別かは不明である。)。
しかし,二階堂氏は天正17年(1589年),伊達政宗に攻められて同城は落城,滅亡することになる。この当時,二階堂氏当主である二階堂盛義はすでに他界,その正室である大乗院が須賀川城の城主であった。
彼女は政宗の伯母に当たり,政宗も降伏を迫るが,それに怒った家臣や領民が手に松明をともして集まり,大乗院に城を死守することを決議した故事に由来するという。
降伏を拒絶された政宗は兵を須賀川に差し向け,両軍の間で激戦が繰り広げられるものの二階堂氏は敗北,大乗院は常陸国へ逃亡,ここに二階堂氏は滅亡を迎えることになる。この戦いにおいて二階堂氏側は数多くの戦死者を出しており,その後,地元民達が戦死を遂げた人々の霊を弔う行事として,松明あかしを行うようになった(ただし,新領主の目を憚る意味から,田畑を荒らす害獣駆除の名目で行われたという。)。
つまり,同公園一帯はかつて,数多くの戦死者を出している場所である可能性が高いということであり,何らかの「いわく」や因縁が残る場所である可能性も高いといえよう。
令和元年8月17日追加
翠ヶ丘公園の様子である。左下にあるのが琵琶池である(中央の池では、よく地元民と思われる方々が釣りをしている。)。
公園横には巨大な柳の木が存在していた。
傍らに小川の流れる小径。日中は明るいが、夜になると木々が鬱蒼と茂ることもあり、一気に不気味さを増しそうである。
心霊現象が噂される問題の橋と思われる。一見して何の変哲のない、美しい朱色の橋である。
公園内には不動尊も存在している。
問題の琵琶池。先程の小川が流れ込み、池を形成している模様。濁り気味の水が不気味さを醸し出している。