福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

先生に祟った稲荷様(郡山市)

1 概要

 明治40年(1907年),尋常小学校四学年制が六学年制に改正された頃,赤津小学校が新築された。
 小学校の校庭の巽(南東)の角は旧代官屋敷で,古戦場の稲荷大明神鎮座の神域と言われていたが,この場所に校長住宅(官舎)が建てられた。

 そこにA校長が入居したがすぐ転任,次にB校長が赴任し入居したが,気が狂い廃人となり退職,次のC校長も入居後おかしくなり転任退職,次のD校長は「陸軍大臣荒木大将は俺の部下だ。」と口走り,その年のうちに退職,次のE校長は地元出身のため,入居せず自宅から通勤したため何事も起こらなかった。

 校長住宅を空けておく訳にもいかないので,若い独身のF先生が入居したが,玄関の鴨居にひもを掛けて首を吊った。一命は取り留めたが,教師を辞め郷里に帰り,精神分裂病統合失調症)で他界した。

 次はG先生の若夫婦が入居した。G先生が夜更けに帰宅すると,玄関を上がらないうちに,突然,若奥様が飛び掛ってきた。その力は強く,形相は狐のようであった。
 また,玄関の鴨居にかけていた足だらいが玄関の板敷きの床へ外れて落ちて,二人が取っ組み合いをしている脇でくるくると回りだし,いつまでも止まらない。若夫婦はこんな化物屋敷に居られるかと,家財道具をまとめて夜が明けないうちに逃げ出した。

 明治45年(1912年),赤津小学校に初めて御真影が下賜された。その際,駅まで奉迎したが,途中,H校長が御真影を地面に落としてしまった。式辞祝典はつつがなく完了したが,H校長は倒れてすぐに退職,郷里に戻るも気が抜けたような状態になり他界した。

 このようなことが続いたため,村では神主に祈祷をしてもらい,校長住宅を乾(西北)の角へ移すことにした。建物を移した跡の稲荷屋敷には石の小祠が祀られ,全校生徒がお参りをした。

 工事終了後,工事に参加した石屋は村役場から祝い酒をもらい,諸所廻り帰宅したが,夜も更けても帰らないため,家人が心配し,翌朝未明探しに出たところ,橋の下手の川の中,柳の根元にひっかかり息絶えていた。これもまた,稲荷様の祟りといわれた。

 なお,引き渡した校長住宅においては,その後,何事も起こらなかったという。

2 解説

  赤津小学校とは,郡山市湖南町に存在した小学校のことで,平成17年(2005年)に廃校となっている(廃校舎は現存しているようである。)。

 上記の話のうち,D校長が発した「荒木大将」とは荒木貞夫のことで,同人が陸軍大臣に就任したのが昭和6年(1931年),大将に進級したのが昭和8年(1933年),大臣を退任したのが昭和9年(1934年)のことなので,D校長が赴任していたのは昭和8年から昭和9年の話ということになる。
 また,D校長の後も,G先生までの期間があることから,校長住宅の建て替えをしたのはさらに後の話だと思われる。
 ここまで不幸が起きる物件の話というのも珍しいのではないだろうか。