佐賀県唐津市,東松浦郡玄海町に存在していた名護屋城は現在国の特別史跡に指定されている平山城である。
同城は,天正19年(1591年),豊臣秀吉が朝鮮出兵の前線基地として僅か8ヶ月後の文禄元年(1592年)に完成させた城で,その規模は当時の大坂城に次ぐ広大なものだったのだという。
同城からは数十万に及ぶ兵士が出発,異国の地での戦いを余儀なくされ,それは慶長3年(1598年)に豊臣秀吉が病死するまで続けられた。
そして,同城は慶長7年(1602年),同地を治めていた寺沢広高が唐津城を築城する際に名護屋城の資材が転用,廃城となったのだという(唐津城だけではなく,他の城へも資材が転用されたという。)。
合戦場ではなく前線基地として機能した城ではあるが,同城から見知らぬ地へ出発,その後,日本に戻ることが叶わなかった兵士も多く存在したと思われるのだが,そのような魂魄がこの地に残るのか,かつてこの地に存在していた公衆トイレでは,誰もいないのに突然,ドアや壁を叩かれるという怪奇現象が発生したのだと言われている。