累ヶ淵は常総市羽生町にある法蔵寺裏手を流れる鬼怒川流域の地名で,江戸時代,「累」と呼ばれる女性の怨霊談が有名である。
話の要約はこうである。
江戸時代,醜い連れ子「助」を持つお杉は,玉の輿となるためには助の存在は邪魔と考え,助を鬼怒川の淵に突き落としで殺してしまう。
そして,お杉は念願がかない玉の輿となるが,産まれた子供が殺した助とそっくりの醜い女の子で,事情を知る余人はこの子を陰で「累」と呼んでいた。
やがて成人した累にも男ができたのだが,その男の目的はあくまで累の財産目当てであり,結婚後,累は男に呼び出され,鬼怒川で殺されてしまう。
しかし,累の怨霊は男と後妻との間に生まれた子供・お菊に取り憑き,お菊の口を使い男の悪事を暴露,親類縁者もろとも祟ろうと目論むが,浄土宗の高僧・祐天上人の力により除霊される。
ところが,お菊には再び霊が取り憑いてしまう。
再度除霊に訪れた祐天上人の質問に答えた霊は,累ではなく,先に殺された助の霊であり,助・累の二代に渡る過酷な宿命が判明する,というものである。
この,累の話が巷間に伝わるのは,元禄3年(1690年)に出版された仮名草子本 「死霊解脱物語聞書」が初見とされているのだが,この話は創作した物ではなく実話で,慶長17年(1612年)から寛文12年(1672年)の60年の間に繰り広げられた実話とされている。
その証拠として,現在でも累ヶ淵の近くにある方蔵寺に,累の墓や祐天上人ゆかりの品が残されているのである(なお,祐天上人は寛永14年(1637年)から享保3年(1718年)の人物。)。
ところで,物語の舞台となった累ヶ淵であるが,今では釣りも遊泳も禁止されている。
かつてこの付近は渡し船があったそうなのだが,流れが速い場所で,川に落ちて死ぬ人が後を絶たなかったらしいのである。
また,過去,以前若い女性同士が争い,一方は首を絞め殺され,一方は自殺するという凄惨な事件が発生したこともあるのだという。そして,その事件後,殺された女性が幽霊となり,この地に頻繁に現れるとも噂されている。
累ヶ淵は今も怨念が渦巻く場所なのかも知れない。