福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

勝尾城(佐賀県)

 佐賀県鳥栖市にそびえる標高約501mの城山に存在していたのが勝尾城で,本城である同城のほか複数の城をもって,「勝尾城筑紫氏遺跡」として,平成18年(2006年)に国の史跡に指定されている。

 同城は応永30年(1423年)又は延徳3年(1491年)に足利氏の一門で九州探題世襲してきた渋川氏により築城されたとされている。
 渋川氏は,九州に伝統的に勢力を有する少弐氏と抗争を繰り広げており,九州の東西南北,十字の交通の要衝にある同城は長く争いの舞台となっていた。

 やがて,少弐氏は周防国などに勢力を持つ大内氏の傘下に入り渋川氏に攻勢となり,永正18年(1521年)には同城を奪取,一族の筑紫氏を入城させている。

 筑紫氏はこの後,少弐氏と袂を分かつようになり,大内氏傘下として勢力を拡大,天文20年(1551年)に大内義隆陶晴賢に滅ぼされると大友氏の傘下となる。
 その後,弘治3年(1557年),大内氏が毛利氏により滅ぼされると今度は毛利氏の傘下となるが,筑紫氏と大友氏の兵力には雲泥の差があり,再び大友氏の傘下に入るなど,小勢力の悲しさか,様々な勢力との離合を繰り返していた。

 天正14年(1586年),薩摩国の島津氏が北上を開始した際,筑紫氏はその前々年,島津氏と連携をしていたにも関わらず,北上直前に大友氏に降ったため,交通の要衝にある同城は島津軍を率いる島津家久の攻撃を受け落城,筑紫氏は島津氏に降伏するが,同年中に再度挙兵,同城を奪還した。

 この後,豊臣秀吉による九州征伐が実施されるが,その後,筑紫氏は別地に所領を与えられたため,同時期に同城は廃城とされている。

 上記のとおり重要拠点であった同城では,多くの戦闘が行われそして多くの血が流されていた歴史がある。
 そのためか,地元では,同城を夜間に訪れると,手に武器を持つ兵士の幽霊が,訪れる者に襲い掛かるのだといわれている。
 今もなお,同城を守るため戦い続ける兵士がいるのだろうか。