埼玉県所沢市に存在していた滝の城は昭和47年(1972年)に滝の城址公園として整備され,園内にある野球場やテニスコートで汗を流す人々のほか,池で小魚やザリガニを子供達が捕まえて遊んだりするなど,市民の憩いの場として楽しまれている場所となっている。
また,同城の敷地からは,昭和51年(1976年),横穴も発見されており,人骨の一部や金環,ガラス玉,須恵器なども出土しており,城の遺構だけでなく,古墳時代の墳墓も残る,歴史の深い場所なのである。
さて,同城であるが,その築城は治承4年(1180年),源頼朝が挙兵した際に呼応した土豪により築かれたとされているが,確証のない話でその詳細は不明である。
戦国時代には,同城は滝山城や八王子城の支城として機能していたようで,特に,滝山城と八王子城を居城とした北条氏照が北関東に出陣する際,その直線上に当たる滝の城は軍勢集結の拠点とされていたのだという。
そのためか,天正18年(1590年)に発生した豊臣秀吉の小田原征伐の際には,同城は八王子城とともに落城,その後,廃城とされたようである。
そして,現在,噂によると,鎧武者の幽霊が姿を見せることがあると囁かれているようである。
また,同城にある七曲坂には,かつて「血の出る松」と呼ばれる,木肌に傷を入れると赤い樹液が出る松が存在していた。
昭和47年(1972年)に枯れてしまい伐採され,現在は残っていないが,かつて,この場所で斬首が行われていたと言われているようである。