岡山県津山市に存在した津山城は別名鶴山城とも呼ばれた平山城で,現在は鶴山公園が整備されているほか,昭和38年(1963年)には国の史跡にも指定されている。
同城は慶長8年(1603年),同地に入封した森氏の手により築城が開始され,13年後の元和2年(1616年)に完成した。
なお,同城が築城される以前,同地には嘉吉年間(1441~1444年)に山名氏の手により鶴山城が築城されたとのことであるが,山名氏が応仁の乱以後衰退した頃に廃城にされたのだという。
その後,森氏の断絶などを経て,元禄11年(1698年),松平氏が入封すると,以後,津山藩の藩庁として機能していたものである。
ところで,同城を築城する際,森氏は初め,院庄という別の場所に築城しようと考え,家臣の井戸宇右衛門に普請をさせていたのだが,井戸氏は森氏当主・忠政の母の縁者であり,また,その一族は森氏の古参の重臣で,なにかと自らの妨げになる人物であった。
そこで,忠政は,自身の側室の兄である名古屋九右衛門(山三郎の名で有名)に宇右衛門の抹殺を命令,2人は刃傷沙汰を起こすが,先に九右衛門が斬られた後,宇右衛門も居合わせた森氏の家臣に斬られたのだという。
その後,二人の遺体は城下の街道を挟んで両側に埋葬,その上に松の木が植えられたが,この松は奇妙な速度で成長,上に伸びた枝はついには絡み合い,しかも,一方が元気付くともう一方は衰えたことから,「睨みあいの松」と呼ばれることになる。
このように不思議なことが起きた同城周辺であるが,近年でも怪奇現象が発生していると言われている。
なんでも,同城跡の鶴山公園のトイレにおいては,過去自殺が発生したそうで,その者と思しき幽霊が発生しているのだといわれているのである。