福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

松井田城(群馬県)

 松井田城は群馬県安中市に存在していた山城で,別名諏訪城,小屋城,霞ヶ城,堅田城などと呼ばれている。

 同城は松井田宿北方に位置し,城の北には碓氷道,東山道が,南川には中山道が通る交通の要衝を,また,碓氷峠に対しての備えという意味のある,重要な拠点であった。

 築城年に関しては永禄年間(1558~1570年)初年と言われているが,それ以前から存在していた松井田西城または諏訪城を松井田城の前身とする向きもあり,明確な築城年は不明である。

 永禄7年(1564年),松井田城は武田氏の攻撃を受けて開城して以降,武田氏の支配下に置かれていた。

 しかし,天正10年(1582年)に武田氏が滅亡すると,北条氏に内通した後閑氏が同城を占拠するが,織田氏家臣滝川一益によりすぐに奪還されてしまう。

 ところが,同年,本能寺の変が発生し織田信長が横死,そして同年中に発生した神流川の戦い滝川一益が北条氏に敗れると,北条氏の軍勢が同城に入城,そして北条氏の重臣大道寺政繁が城代となり,同城の大改修を実施している。

 そして天正18年(1590年),豊臣秀吉による小田原征伐の際,同城は前田利家上杉景勝真田昌幸率いる軍勢約3万5000の攻撃を受ける。同城に立て篭もる兵力は約2000と劣勢にも関わらず,1ヶ月近く持ちこたえた。

 だが,最後は大道寺政繁が降伏,同城は明け渡され,そのまま廃城となった。
 大道寺政繁はその後,切腹を命じられるが,現在,同城の居館跡に菩提寺である補陀寺が存在している。

 このように,特に小田原征伐時,激しい攻防戦が行われたと推測される同城では,現在もその際の戦死者と思しき武者の幽霊が現れるのだと伝えられている。