福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

二ノ丁化物屋敷の事(会津若松市)

1 概要

 本二ノ丁北側甲賀町の東角に、「御用屋敷」というものがあった。これは、藩主が在国の時、江戸からお供した小姓や屋敷のない侍が住む所で、数十軒の長屋であった。

 ある年、江戸からお供してきた片峯九八という小姓がいた。その九八が病気になった時、今は会津勤めになっている山田某という侍が、江戸で親しくしていた昔のよしみと、独身の身軽さで毎晩通い看病してくれた。

 山田が看病している時、九八は寝言のように誰かと物語りすることが度々あり、気をつけて見ていたが、別に誰かが来る訳ではなかった。そんなことが二十日ばかり続いた夜、九八の枕元に20歳頃の女が現れ、「私はこの世にいない者で、北青木村の善竜寺にあって法名は何々と言う者です。無縁ですので誰も弔ってくれる者がいません、それで黄泉で迷っております。九八殿は私と少し縁がありますのでお願いに来ました。」と言う。

 夜が明けて山田が九八にこのことを話すと、九八も頷き、「夢かとばかり思っていたが、あなたにも見えましたか。女には見覚えがありませんが、頼まれて尋ねてみないのも悪いので、山田殿、済まないが、是非善竜寺を訪れて、その法名墓所があるかどうか尋ねて下さらないか。」と言う。

 山田は快く承知して善竜寺に赴き、住持に対面して事の次第を語り、調べて欲しいとお願いした。住持は早速過去帳を取り出し、繰り返し何遍も調べたが、女の言う法名は見当たらなかった。
 無縁の者ならば過去帳には載せていないが、それらしい墓所があるようであると、一つ一つ尋ねてみると、少し離れた小高い所にある小さな石碑に、女の言っていた法名が刻まれていた。
 山田は住持にいつの頃、誰を葬ったか聞いてみると、「これはずっと前のことで、はっきりしたことは分からないが、寺での申し伝えによると、ある侍の秘蔵の飼い猫が死んだのを葬った墓所であると聞いていました。」という。

 山田が帰って九八にこの事を告げると、九八は納得できかねながらも、少しの布施物を出し、住持に跡弔いをしてくれるように頼んだ。九八はその後暫く病床にあったが、山田の看病の甲斐もなく亡くなった。

 それから2、3年、何事もなく過ぎたある日の夕方、御用屋敷長屋へ女の人が訪ねてきて、小者に御主人は在宅ですか、と言う。たまたま主人が友達の所に出かけて不在であったので、その旨を告げると女は何事も言わず帰って行った。
 その日の夜更け、小者が便所に行くと、便所の後から先程の女が出てくるのを見た。それから小者は急に気分が悪くなり寝込んでしまい、その晩のうちに自害して果てた。どうした訳なのか、知る者はいなかった。

 それから訳の分からない怪しいことがこの長屋で度々発生した。人々は、これは狐か狸の仕業であろうと考え、狐罠に焼き鼠の餌を付けて長屋の脇に仕掛けた。宵のうちは皆罠に気を付けていたが、夜半過ぎからは気が緩み寝入ってしまった。そして、暁方近くなり、罠の方ですさまじい音がしたので、人々は驚いて長屋長屋から提灯を片手に、鳶口や熊手を持って罠のそばに集まった。
 
 しかし、何も怪しい事がなく、皆、不思議に思い提灯をかざしてよく見てみると、罠にかかっているのは、文字もよく見えないような古い位牌であった。何者のいかなることか、本当に怪しい事である。

2 解説

 長屋で発生した怪しい出来事である。片峯九八の枕元に現れた女と、長屋を訪ねてきた女というのが同一人物(同一霊?)なのかは定かではない。ただ、話の流れからすれば、罠にかかっていた古い位牌とは、いずれかの女の物なのだろう。なんとも不思議な話である。

 なお,話中に出てくる「青木村」というのは現在の会津若松市北青木に存在していた村のようで,同地区には確かに善竜寺(正しくは「善龍寺」)が存在している。同寺は幕末の会津藩家老として有名な西郷頼母夫妻の墓をはじめとして多くの会津藩士の墓がある古刹である。