1 概要
米代一ノ丁諏方通り北側の東角に、杉浦甚五兵衛という400石取りの侍が住んでいた。この屋敷の長屋門西の隅、諏方通りの角にある出格子に化け物が住んでいるという噂が世間に流れていた。
同じ丁の南側、今の聖堂の内、筒井三九郎という人のところに、某医師が同居していたが、ある日、往診に出向いて夜の五ッ(午後八時)頃、杉浦氏の出格子のところに差し掛かると、出格子の内から中音より低く謡の声が聞こえてくる。
その声は麗しく、殊に節音が細やかに面白く感じたので、暫く足を止めて聞き入っていたが、もう帰ろうとして後ろを見たところ、その場所は杉浦氏の出格子の下ではなく、三丁程下の川原町口郭門の辺りをうろついていた。医師は大いに驚き、急いで我が家に帰り時刻を尋ねたところ、九ッ(午前零時)を過ぎていたという。
また、ある人が暮れ過ぎに杉浦氏の出格子の下からふと道を間違えて、米代一ノ丁の下融通寺町通りへ出て、こここそ我が家と思い込み、門を荒く叩くと、内から小者が出てきて「誰ですか」と聞く。「亭主だ」と答え、「早く門の戸を開けろ」と言うと、この家の主人が出てきて「どなたがおいでか」と聞くので、初めて間違いと気付いて、慌てて立ち帰った。後、変わった事があるものだと語っていた。
ある日、田中如水と並川多作が、米代一ノ丁桂林寺町通り南角、井上氏の所へ碁打ちに寄合って、夜になったので暇乞いをして一ノ丁へ出ようとして石橋へさしかかり下の方を見ると、杉浦氏の家の前から、車輪のような大きさの燃え盛る火が出て、北の堀際について東の方へきて、堀笠の下位の高さを飛び、飯沼氏の門の前まできたので、多作はこれを見て怪しく思い、召連れた老人一人を見届けに走らせた。老人が行くと、その火はまた来たところを戻り下にさがったという。
あるいは、諏方の祭りの7月16日は、善男善女貴賎貧富の人達が集まる。ある人、諏方で遊んで帰るため、杉浦氏の横通りの水道のある辺りまで来ると、何者かが両足をしかと掴んで、先にも後にも動けなくなる。手で足を掴んでいる者を探ってみたけれども何も無い。どうしたものかと呆然としているところに、やはり諏方の祭りの帰りの人らしい提灯が近づいてきた。すると、足がゆるみ、元通りとなったという。
またある時は、本一ノ丁の下に住んでいる外島左一兵衛という侍が、米代一ノ丁の上へ出かけて夜になり、五ッ頃(午前八時)に下人一人召連れて西へ下り、杉浦氏の角から横通りへ出て、一ノ丁へ行き自分の家に帰った。その夜は、空晴れて月明かりで昼のようであったが、杉浦氏の横通りに差し掛かったところ、何となく暗く感じた。月が雲間にでも入ったのであろうと思い、一ノ丁まで行き過ぎて行き過ぎて後ろを振り返ってみると、下人が牛馬のように這いつくばってくる。どうしたのかと聞いてみると、あの横丁へ来ると急に暗くなり、一足も歩くことが出来なくなったので這って来たという。空を仰げば、晴れ渡り雲ひとつない月夜であったという。
2 解説
杉浦家の屋敷付近では,かなり不可解な出来事が多発していたことが分かる。果たしてどのような化け物が棲んでいたのか興味深いところであるが、全ては謎である。