令和2年1月22日 改訂
1 概要
以前,インターネットで様々な心霊情報を調べていた際に見かけた情報である。
その情報によると,白河市内にある某城跡においては,その地を訪れた者が,突然,落ち武者と思しき幽霊に追いかけられた,という体験談がるとのことである。
具体的な城の名前まではその情報上ではなかったが,どうもその城跡というのは,現在公園が整備されている場所であるようである。
また,場所を特定する目印として,同城跡近くには火葬場があるとのことである。
2 解説
あまり情報量が多くなく,場所を特定するのが困難な城跡である。
しかしながら,「近くに火葬場がある。」というキーワードから察すると,恐らく白河市にある「白川城(別名搦目城)」跡が該当するのではないかと思われる。
同城は,現在白河駅近くに復元天主(正確には三層櫓)がある小峰城とは別に存在していた城で,同地を支配していた白川氏が居城としていた(白川城の正確な築城時期及び廃城時期は不明,小峰城は興国元年/暦応3年(1340年)に築城,その後,丹羽氏が寛永9年(1632年)に3年がかりで大改修した。)。
歴史を紐解いてみると,白川氏は文治5年(1189年)に源頼朝により同地を与えられ,正応2年(1289年)頃にこの地に移住し,その後天正18年(1590年)まで同地を支配していた。
約400年近くこの地を統治していた白川氏ではあるが,平穏無事に統治していた訳ではなく,合戦や一族同士の内乱が発生しており,同城においても,武者が命を落とす何かしらの事件が発生していた可能性は否定できないのではないだろうか。
令和3年1月11日追記
今回、白川城周辺の写真を撮影したので追加掲載する。
国指定の史跡に指定されている白川城は、小高い山に存在していた平山城で、写真にはないのだが、細く薄暗い道を登りきると入口に到達する。
階段を登りきると開けた場所に出る。恐らく本丸(館)でも存在していた場所だろうか。
人気のない、薄暗い場所である。
白川城に関する看板。
後村上天皇(南朝第2代天皇、嘉暦3年(1328年)~ 正平23年(1368年))の聖跡碑が残されていた。大正年間に作られた碑らしい。
この城の城主、結城白川氏は南朝方股肱之臣だったからであろう。
何やら曰くのありそうな祠が残されていた。
苔むした巨大な碑には徳富猪一郎(蘇峰、文久3年(1863年)~昭和32年(1957年))の名が刻まれていた。
字体からして、戦前に作られた物のようである。