福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

新府城(山梨県)

 新府城山梨県韮澤市にかつて存在していた平山城で,昭和48年(1973年)には国の史跡として指定されている。

 同城は天正8年(1580年)またはその翌年,同地を統治していた武田氏(当主は武田勝頼)の家臣・穴山信君が築城の献策をしたことに始まると言われている。

 築城は天正9年(1581年)より開始,同年年末には武田勝頼は居城の躑躅ヶ館から同城に移住している。

 しかし,翌天正10年(1582年),木曽義昌の謀反を鎮圧するため諏訪地方に向かうが,織田氏・武田氏の連合軍の前に阻まれ帰国,織田軍はそのまま甲斐国へ進軍したたため,重臣小山田信茂の居城・岩殿城に移るため,新府城には火を放つ。

 この際,新府城には数多くの人質が残されており,武田勝頼は彼らを逃がさずそのまま焼き殺したのだという。炎の中人質達が嘆き悲しむ声は天にも響くばかりで,その哀れな様子は言葉で言い表すことができない程だったのだという。

 そして,岩殿城に向かう武田勝頼一行だったのだが,その途中の笹子峠小山田信茂の謀反に遭い,武田勝頼一行は天目山に逃れそして自害,ここに,名門武田氏は滅亡することになる。

 武田氏滅亡後,程なくして織田信長本能寺の変で横死したこともあり,支配者のいない甲斐国徳川家康北条氏政の間で争奪が繰り広げられたが,その際,徳川勢は新府城に布陣したこともあるのだという。

 しかし,新たに甲府城が築かれ,同城が甲斐国の中心となることになり,新府城天正18年(1590年)頃には廃城とされたようである。

 現在,甲斐国の名門・武田氏の最期の居城となった同城跡地には,長篠の合戦で討死した重臣達の慰霊碑や武田勝頼の霊社が残されている。

 ただ,上記したとおり,武田勝頼が撤退時に火を放ち,その際に人死が出たためなのか,同城では,落ち武者や焼け爛れた兵士と思しき幽霊,また,人質だったのか,着物を着た母子の幽霊等が目撃されると言われているほか,心霊写真も撮影されると言われている場所なのだという。