岩国城は山口県岩国市に存在していた山城である。
同城は,慶長5年(1600年)に発生した関ヶ原の合戦の際,西軍の総大将となっていた安芸国ほか8カ国で112万石の大大名であった毛利輝元が,戦後,周防国と長門国の2国で29万石に移封された際,毛利氏一門である吉川広家もそれに従い同地に所領を得たので,慶長7年(1602年)に平時の居館を,慶長13年(1608年)に戦時の城である「横山城」を完成させた(岩国城はこの2つの総称のようである。)。
しかし,横山城については,元和元年(1615年),徳川幕府の出した一国一城令に抵触,廃城することになる。本来,周防国には岩国城しか存在していなかったが,同じ毛利氏一門の長府藩の櫛崎城を破却したことに合わせる必要があったためといい,その後,平時の居館を陣屋として使用していた。
ところで,岩国城跡にはロープウェイや遊歩道を使い登ることが可能であるが,夜間,この遊歩道を訪れると,落ち武者の幽霊が現れるという噂があるのだという。
ただ,上記の歴史を見た限り,同城には合戦の歴史はないようで,なぜこの地に落ち武者の幽霊が現れるのか,その理由は不明である。