福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

一乗谷城(福井県)

 福井県福井市に存在していた一乗谷城は標高約473mの一乗谷山に築城された山城で,戦国大名・朝倉氏の居城として有名である。
 なお,同城の麓には朝倉氏及びその家臣らの居館による城下町が広がり,御殿だけではなく庭園が築かれており,同城を含め,「一乗谷遺跡」等呼ばれている。

 朝倉氏は同地を拠点としていたが,その統治下では政情は安定しており,応仁の乱(応仁元年(1467年)~文明9年(1477年))により荒廃した京都から数多くの公家や僧侶,文人,学者などが避難した。
 そのため,一乗谷は飛躍的に発展,華やかな京文化が開花し,最盛期には人口が1万人を超え,越前の中心地として栄えていた。

 しかし,朝倉氏5代義景の時代,勢力を伸ばす織田信長と敵対,元亀元年(1970年),姉川の合戦で朝倉・浅井氏連合軍が織田・徳川氏連合軍に敗れた後,朝倉氏は劣勢となり,ついに天正元年(1973年),織田軍の侵攻を受けた朝倉義景一乗谷を放棄,一乗谷は織田軍の放火により灰燼に帰してしまう(なお,同城は一度も合戦に使用されることなく廃城になったとのことである。)。

 朝倉氏が滅亡した後,一乗谷は朝倉氏の旧臣・前波吉継(桂田長俊)に与えられ,ここに館を築くものの,天正3年(1575年),越前一向一揆が勃発,一揆勢約3万3000が館を急襲,前波(桂田)氏一族もろともが討ち取られる。

 そして,一揆平定後,柴田勝家が北ノ庄城を築城してからは一乗谷は田畑に埋没,昭和の時代に発掘が開始されるのを待つことになるのである。

 その歴史上,朝倉氏とその旧臣・前波(桂田)氏が滅亡した地である一乗谷周辺では,落ち武者の幽霊が現れる,また,大量のオーブが写る心霊写真が撮影されるなどの噂があると言われている。