小机城は神奈川県横浜市に存在していた平山城で,現在は小机城址市民の森として整備されている場所である。
同城の築城は永享の乱(永享10年(1438年)頃)に,関東管領山内上杉氏の手により築城されたと言われているが,正確な築城年は不明である。
同城が歴史に登場するのは,山内上杉氏の家宰・長尾景春が反乱を起こした際,景春に同調した豊嶋氏が文明10年(1478年)に同城に籠城,それを太田道灌が攻撃した。
その際,道灌は,「小机は まず手習いの 初めにて いろはにほへと ちりぢりとなる」という詩を読み,将兵の士気を鼓舞したのだという。そして,道灌は約2ヶ月程の攻撃の後,同城を落城させることに成功,落城の後は一度同城は廃城とされた。
その後,同地に勢力を伸ばしていた北条氏綱の手によって同城は再建,城下の整備なども進められたのだが,天正18年(1590年),豊臣秀吉の小田原征伐の際に無傷のまま再度落城,そして,関東に徳川家康が入るとまもなく廃城とされたのだという。
そして現在,先に記載したとおり,市民の森として整備されている同城であるが,地元民の間では心霊スポットとして有名な場所なのだということである。
ただ,合戦で命を落としたと思われる者の幽霊ではなく,もっと現代風の,猫を抱いた女性が現れると噂されていることで有名なのだそうである(また,訪れた者の中には原因不明の体調不良になるものも。)。
なぜ,幽霊が現れたり体調不良になるのか,残念ながら詳細は不明である。