福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

松江城(島根県)

 島根県松江市にそびえる標高約29mの亀田山に築城された松江城は山陰地方唯一の,そして,日本で国宝指定された5つの天守のうちの1つ(国宝指定は平成27年(2015年))の城である。

 同城が完成したのは慶長16年(1611年)のことで,同地を与えられた堀尾氏によるものだが,堀尾氏は寛永10年(1633年)に嗣子がなく改易,翌年,京極氏が入封するが京極氏もまた寛永14年(1637年)に嗣子がなく改易,翌年,松平氏が入封,そのまま明治維新まで同城を藩庁として存続した。

 戦の歴史のない同城であるが,実は,奇怪な伝承が複数伝わる。

 まず一つめは人柱に関する伝承である。
 寛永15年(1638年),松平直政が同城に入封した際,天守において,「この城は私のものである,出て行け!」と言い放つ女性の幽霊を目撃したのだという。

 調べてみると,堀尾氏が同城を築城した際,どうしても天守の石垣が崩れてしまう,これは地神の怒りということで,人柱を埋めることを思い立つ。
 その際,二の丸で盆踊り大会を開催し,その中で最も踊りがうまく,また美しい「お鶴」という娘を人柱にしたのだという(なお,築城する山が「亀田山」なので,「鶴亀」にちなみ,お鶴を選んだのだという。)。

 二つ目は堀尾氏に関する伝承である。
 実は,直政の前に女性の幽霊が出たのにはこのお鶴だけではなく,もう一つ,堀尾氏自身に原因があるとも言われている。

 堀尾氏当主・吉晴は慶長4年(1599年)に隠居,嫡子忠氏が家督を相続していたが,慶長9年(1604年),マムシに噛まれた傷が元で若くして死亡してしまう(なお,この際,忠氏は大庭大宮(神魂神社)にある禁足地の池を無理に視察した際にマムシに噛まれたという。)。

 幸い,忠氏には忠晴という子供があり,吉晴が後見して藩政を見ることになるが,野々村河内守に嫁いでいた吉晴の長女・勝山は,自身らの子供を堀尾氏の跡継ぎにしようと画策するがそれが露見,野々村河内守は配流の上切腹,2人の子供も原因不明の病で死亡したほか,勝山自身もその10年後,吉晴と松江藩を恨みながら死亡したのだという。

 直政の前に現れたのはお鶴または勝山いずれかの女性と幽霊と考えられている(堀尾氏が断絶したのもこの幽霊のせいだとする。)。
 この幽霊に対し直政は「コノシロ」という魚を供物として捧げ(この城,という言葉とかけた。),また,祠を建立し丁寧に供養したのだという。

 最後もまた,堀尾氏に関する話で,一つ目の話同様,やはり人柱に関する伝承である。

 やはり堀尾氏が同城を築城していた時,ある箇所の石垣が頻繁に崩れるため,吉晴が知り合いの虚無僧に頼み調べたところ,地中から槍が見つかった。
 吉晴は虚無僧に対し,対処方法について聞くと,「人柱を入れるしかない。私の子供を士分に取り立てるなら,私が人柱になろう。」と虚無僧が申し出るので吉晴は了承,虚無僧が人柱になり,石垣は無事に完成したのだという。

 そして,その後,石垣からは,虚無僧が奏でると思われる尺八の音色が聞こえるようになったというのである。

 美しい天守を今に伝える松江城には,いくつもの不可解な伝承が残されているようである。