香川県丸亀市に存在していた丸亀城は,標高約66mの亀山の上に築城された平山城で,別名亀山城,蓬莱城などと呼ばれており,昭和28年(1953年)には国の史跡に指定されている。
同城の沿革であるが,元々この場所には,室町時代初期に築かれた砦が存在していたものを,慶長2年(1597年),豊臣政権下で同地を与えれた生駒親正が本拠である高松城の支城としてこの地に城を築いたことに始まる(完成は慶長7年(1602年)。)。
寛永17年(1640年),生駒氏はお家騒動の結果,出羽国矢島へ転封となり,翌年,山崎家治が同地を領有,丸亀藩を立藩する。
家治は築城の名人と言われていたそうで,寛永20年(1643年)に丸亀城の改修を開始,合わせて城下の整備を進めることになる。
しかし,家治の生前,同城の改修は完全に終わってはおらず,むしろ万治元年(1658年)に山崎氏は嗣子がいないため改易,代わって京極氏が同地に入封の後の万治3年(1660年)にようやく工事は終了,以後,丸亀藩の藩庁として同城は機能している。
ところで,家治が改修工事をしていた頃,石垣作りを担当した石工の中に,羽坂重三郎という人物がいた。
重三郎は,石垣の完成を見に来た家治が「これなら誰にも登ることはできまい」と言うのを見て,一尺あまりの鉄棒1本を使い,簡単に石垣を登ってしまう。
これを見た家治は,敵方に石垣を登る方法を知られたら危険と判断,重三郎に井戸の測量を命じ,井戸の底に下りた重三郎の頭上から岩を落とし殺害してしまう。
その後,この井戸では奇妙な噂が流れ始める。
干上がっているはずの井戸から水の音が流れる,また,井戸の周りに怪しい炎が漂う,そしてついには重三郎の幽霊が井戸や家治の枕元に現れたのだという。
また,時期は不明であるが,同城では築城をしていた時期のある雨の日,たまたま側を通行した豆腐屋を見つけて捕まえ,人柱にしたのだといい,以後,雨の日になると,「とうふ,とうふ・・・。」という悲しい声が聞こえてくると言われているそうである。
現存天守の残る美しい同城であるが,その裏には,上記のように薄暗い歴史が残されているようである。