姫路城は兵庫県姫路市にある姫山及び鷺山に築城された平山城で,現存天守が残るため,国宝,重要文化財,国の特別史跡に指定されているほか,ユネスコの世界遺産リストにも登録されている城である。
現在,美しい姿を残す同城は,慶長6年(1601年)から8年をかけ,同地を与えられた池田輝政の手により築城されたもので,それ以前の同城は,正平元年/貞和2年(1346年),播磨国守護の赤松氏により,姫山に存在していた称名寺を麓に移し,同地に築城したのを始まりとしている。
さて,美しい姿を今に伝える姫路城であるが,その美しさとは裏腹に,いくつか,奇怪な噂も伝わっている城である。
その1
池田輝政の命により,桜井源兵衛という腕の立つ棟梁が天守の工事を手がけた。
完成の折,源兵衛は妻とともに晴れの席に招かれたが,その際,「天守が巽(東南)の方向に傾いている」という指摘を受けたことを苦に,源兵衛はのみを口にし天守から飛び降り自殺してしまう。
そして,その日から天守が年々地盤沈下に悩まされるようになった。実際,昭和の時代に行われた調査でも,天守が傾いていたことが確認されたそうである(現在はコンクリートにて基礎を補強している。)。
その2
姫路城の天守には「長壁姫」(刑部姫)と呼ばれる女性の妖怪が棲むと言われている。
長壁姫は年に一度だけ城主と面会し城の運命を話していたそうで,自らを祈祷しようとした阿闍梨を蹴り殺したこともあるのだという。
これは,同城が建つ姫山にかつて存在していた刑部神社(この神社は羽柴秀吉により移築された。)したことに由来しているようで,その正体については,井上内親王が息子の他戸親王との間に生んだ不義の子とも,伏見天皇が寵愛した女房の幽霊等とも言われているそうである(なお,姫路は古名「日女路」と呼ばれたそうで,多くの女性が祀られているのだという。)。
なお,福島県耶麻郡猪苗代町に存在していた猪苗代城には,この長壁姫の妹という「亀姫」が存在していたのだという。
その2
元和3年(1617年),徳川秀忠の長女で豊臣秀頼の正室であった千姫が徳川氏譜代・本多忠刻に再嫁,姫路の地に訪れる。
しかし,二人の間に生まれた子供が早世する(または流産が続く)という不幸が続くため,祈祷師に祈祷を頼んだところ,千姫には豊臣秀頼や淀君,そして坂崎出羽守直盛(大坂の陣で大坂城より千姫を救出,一度は千姫を嫁がせるといされていた人物で後に切腹)の怨霊が憑りついている,と言われたのだという。
そこで,城の西北に天満宮(千姫天満宮)を建立,これらの怨霊を祀ったところ,ようやく姫を授かることができたそうである。
その3
同城内の上山里丸には,「お菊井戸」と呼ばれる井戸がある。
永正年間(1504~1521年),城代小寺氏の家老・青山鉄山が同城の乗っ取りを企んでいることを青山氏の女中・お菊が密告する。
お菊は小寺氏の忠臣・衣笠氏の恋人のためだったが,密告の結果争いが発生,小寺氏は衣笠氏に守られ逃げ落ちることになる。
お菊はその後も青山氏家中に残り動向を探るが,ついに青山氏に仕える町坪氏に気付かれ,このことを盾に町坪氏に婚姻を迫られるがお菊は了承しない。
このことに腹を立てた町坪氏は青山氏の家宝である10枚の皿のうち1枚を隠し,これをきっかけにお菊に結婚を迫るが,お菊は町坪氏の言葉に耳を傾けないため,ついに町坪氏の手により斬り殺され,その遺骸を井戸に投げ込まれてしまう。
その後,この井戸を通りかかると毎夜,「1枚,2枚・・・。」と,寂しげに皿を数える声が聞こえてくるようになり,誰言うことなく,この井戸を「お菊井戸」と名付けたのだという(この話が江戸時代,広く知られた「番町皿屋敷」の原型となる。)。
また,寛政7年(1795年),姫路城下ではジャコウアゲハという蝶が大量発生したが,この蝶の蛹の模様が,後ろ手に縛られた女性のような模様をしているから,お菊の幽霊が蝶に転じて現れたと噂にされたのだそうである。
美しい姫路城には多くの怨念が今も息づいているのかも知れない。