鉢形城は埼玉県大里郡寄居町に存在していた平山城で,2つの河川が刻んだ高さ約122mの断崖の上に立つという,天然の要害に守られた城である。
同城は文明8年(1476年),山内上杉氏の家臣・長尾春景が築城したとされている。景春が同城を築城したのは,自身が長尾氏の家督を継げなかったことによる不満が発端で,後,長尾景春の反乱を引き起こすことになる。
その後,同城を巡る攻防としては,
文明10年(1478年) 扇谷上杉氏家宰・太田道灌,同城を攻め落とし,山内上杉氏当主・上杉顕定が同城に入城する。
長享2年(1488年) 扇谷上杉氏と山内上杉氏の間で同城を巡る戦いが発生(この際,同城は落城せず。)。
永正9年(1512年) 山内氏当主・上杉顕実,同族の上杉憲房の軍に鉢形城を囲まれ同城は落城,顕実は山内氏当主の座を失う。
永禄7年(1564年) 北条氏邦が鉢形城に入城(山内上杉氏と扇谷上杉氏は天文15年(1546年)に発生した川越の夜戦に敗れ,北条氏が武蔵国における覇権を確立していた。)。
永禄12年(1569年) 武田信玄の攻撃を受ける。
天正2年(1574年) 上杉謙信の攻撃を受ける(城下に放火される。)。
天正18年(1590年) 豊臣秀吉の小田原征伐。前田利家・上杉景勝・真田昌幸・徳川家康家臣団の連合軍約3万5000が同城を包囲,北条氏邦家老黒澤氏ら約3000が約1ヶ月戦うも開城,この時期に廃城とされたと思われる。
という歴史を辿っていた。
関東の城特有の,数多くの合戦を経験してきた城であり,その結果,多くの地が流され,そして武者や兵士の命が落とされた場所である。
そのような歴史を反映してか,同城では鎧姿の武者の幽霊や着物を着た子供の幽霊,謎の怪しい人影の目撃談があるのだという。
上記いずれかの合戦で命を落とした者達の幽霊が今も彷徨い続けているのだろうか。