永禄12年(1569年),播磨国の武将・赤松政秀は約3000の兵を率いて姫路城に対し攻撃を仕掛ける。
同城には小寺氏の家臣・黒田職隆・孝高親子が守備していたが,兵力は300程度しかおらず,黒田勢は籠城戦を諦め野戦に打って出る作戦を取る。
この際,黒田勢は同城西にある青山の地に伏兵を配置,同城を攻めようとする政秀の軍に対して奇襲を敢行し成功,ついに撤退させることに成功させたのだという。
この戦いは黒田孝高(官兵衛)の初陣とされているそうであるが,その舞台となった同山は現在も掘り返すと当時の矢じりが出土すると言われているほか,何でも首のない鎧武者が訪れた者を追いかけてくるのだとも噂されているそうである。