福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

一言坂の戦い(静岡県)

 元亀3年(1572年),甲斐国武田信玄室町幕府第15代将軍・足利義昭の信長包囲網に応える形で西上作戦を開始,配下の山形昌景を三河国へ,秋山信友美濃国へ,そして自身は遠江国へ侵攻する。

 このうち,昌景の率いる部隊は降伏させた三河の国人を率いて遠江国へ転進,信玄本隊へとの合流を図る。

 これに対し,三河国遠江国に勢力を有していた信長の盟友である徳川家康は,昌景の軍を天竜川を渡させないため,本多忠勝内藤信成らに偵察を命じ同川を渡河させ,家康自身も兵を率い出陣する。

 しかし,昌景の部隊の進出は思いのほか早く,忠勝・信成の偵察隊は昌景の先発隊と遭遇,戦闘が開始されてしまう。
 兵力に差がある偵察隊はすぐさま撤退するものの,昌景隊はすぐさま追撃,ついに一言坂にて戦いが開始される。

 この際,昌景率いる兵は約5000,家康率いる兵は約3000と家康側が不利であるため家康は撤退することを決意,忠勝と大久保忠佐は家康と信成を逃がすため殿となり,一言坂の下という,守備側としては不利な場所(高所から攻め寄せる側の方が有利)に陣を取った。

 それに対し,昌景の部隊の先鋒・馬場信春は忠勝の陣を大いに破り,さらに忠勝隊の退路を阻むため,小杉左近の部隊が一言坂のさらに下に先回りをするが,これに対して忠勝は小杉隊に対し敵中突破を敢行,この無謀な突撃を見た左近は兵を引き,忠勝隊を見逃したのだという。

 また,一言坂の戦い,特に撤退戦において,徳川氏の軍はある奇策を仕掛けたのだという。
 なんでも,当時の一言坂付近は湿地帯で,この場所に昌景の軍を呼び込もうと,付近の松林に火を灯して提灯のように見せかけ,罠とは知らず深追いした昌景の軍は湿地帯に落ちてしまい,さらに攻撃を受け戦死したのだという(この故事から,同地は「挑燈野」と名付けられたそうである。)。

 戦後,付近の村人は戦死者を弔ったそうであるが,現在,この地(挑燈野に棲息する万能ホタルという大きなホタルは,この際戦死した兵士の魂が飛んでくるものではないか,と語り継がれている。

 そして,ホタルだけではなく,夏の雨の夜には,今も提灯のような火が見える,また,この付近にある地下道には鎧武者の幽霊が現れると言われているのだそうである。