今回,心霊スポット候補地としてご紹介する場所は「古墳」である。
古墳とは原義・第一義としては「古い墓」、「古人の墓」を意味し、第二義・考古学的語義・近代以降現代の語義としては、「盛土(封土)をした古代の墳墓」、「墳丘墓」を意味している。
なお、広義の古墳(原義・第一義に分類)に「横穴墓」も含まれる。
私の認識としては、とりあえず、原義・第一義にある古い墓、古人の墓を全てひっくるめて、ここで「古墳」として考えたいと思う。
さて、日本には、日本最大、かつ世界的の最大級の広さを持つ仁徳天皇陵古墳を初めとし、様々な古墳が現存している。
日本の古墳時代は7世紀頃に終焉されたとされるので、古墳に埋葬された人の没年は1300年以上前のこととなる。
それだけの年月が過ぎれば、埋葬された人は成仏していそうなのだが、実は、古墳が心霊スポットとされるケースがいくつか散見されている。
まず、有名な話として、奈良県(明日香村)にある高松塚古墳の話が挙げられる。
昭和45年(1970年)、ショウガを保存する穴を掘っていた際に偶然発見された高松塚古墳は、その被葬者の特定はできていないものの、石室内に鮮やかな壁画が残されていた点から、身分の高い人物が埋葬されたと推測されるものである(なお、藤原京期(694~710年)に築造されたとされる。)。
ただ、未だ被葬者の怨念が残存していたのか、発掘後、幾多の怪奇現象、具体的には発掘に関係した方に死亡者が相次いだ。
それを時系列にまとめると、
昭和47年(1972年)
3月
高松塚古墳発掘開始
5月21日
当時の明日香村観光課長病死(発掘に熱心な方で、費用粘質のため文化庁や財務局にかけあった)
8月23日
塚近くに住んでいた方が病死(過去、塚付近を掘り返したことがあり、その日から体が衰弱していたという)
昭和48年(1973年)
8月
明日香村の総代が交通事故死
9月
高松塚古墳調査団に家を提供していた人が納屋から転落、腰の骨を折り2か月間寝込む重症を負う
昭和49年(1974年)
高松塚古墳の壁画を修復していた人が交通事故死
時期不詳
高松塚古墳を最初に発見した方が謎の自殺を遂げる
という出来事が発生した。
そのため、「高松塚古墳の呪い」として、一時期話題になったのだという。
また、福岡県にある三雲遺跡では、昭和50年(1975年)、伊都国(「魏志倭人伝」等、中国の書籍に出てくる倭国内の国名)の王妃の墓が発見され、王妃の遺体が収められた石棺のほか、三人の兄弟と思われる子供の遺体が収められた石棺も発見された。
この石棺は公民館に保管されることになったが、運び込まれたその日から、公民館の管理人は謎の腰痛に襲われ始めた。
自身の腰痛が例の石棺と関連があると考えた管理人は、祈祷師に依頼し、御祓いをしてもらったところ、腰痛は嘘のように収まった。
そこで、さらに石棺に眠る霊の成仏を祈願し、近所のお寺の住職にお経をあげてもらったところ、それが裏目となった。
と、いうのも、その日の夜、管理人は、古代の服を着て走り回る3人の子供の姿を目撃したのだという。
この話は当時、地元新聞紙の紙面を賑わせたそうで、石棺は最終的には資料館に移されたが、その後、公民館での怪現象は発生しなくなったのだという。
このように、1000年以上前に被葬者が埋葬されている古墳であるのだが、その被葬者の念というものは未だ風化せず残り、人々に祟りをなす可能性は否定できない。
福島県においても、郡山市の大安場古墳群、会津若松市の会津大塚山古墳など著名な古墳を初め、大小の古墳が残るっているが、中にはいわき市の中田横穴古墳のように、実際怪奇現象が発生したとされる場所もある。
これらの古墳は現在、自由に立ち入りできる場所が多いが、元々「墓」であったことは忘れず、敬虔な気持ちで訪れる必要があると思われる。
最後に、古墳の中にはその一部ないし全部が造成され、中には元古墳が存在した場所に家が建てられたケースも存在している。
そのような場所で、埋葬者は今も静かに眠りに付いているのか、それとも目覚め、何かしら胎動しているのか・・・残念ながら知る由はない。